2024/11/13 05:00
「おひとりさま」の効用~ポジティブな孤独
昨年9月にニューヨークでアジア人をターゲットにしたヘイトクライムで、肩と腕の骨折などの重傷を負ったピアニストの海野雅威さんに今年2月インタビューさせていただきました。当時はまだ演奏すると痛みがひどく、一曲が精いっぱいという状態だった海野さんですが、リハビリを続け、この10月、日本に一時帰国して、演奏ツアーをするという連絡が入りました。帰国時の14日間の待機期間中に、オンラインで話を聞きました。
ジャズピアニスト海野雅威さん【Photo by John Abbott】
◇ピアニスト生命の危機からの回復
海原 お帰りなさい。日本でのツアーをたくさんの人が待っていました。2月のインタビューから8カ月、その回復力は驚異的です。本当に楽しみです。それにしても私は海野さんから、事件に関して怒りの言葉を全く聞いていないのが不思議です。
海野 当初、ピアニスト生命を絶たれた可能性も考えなければならないほどでしたが、多くの人の温かい励ましやさまざまな奇跡が重なり、希望を捨てず前向きな気持ちでいられたことが、回復につながっています。
全米屈指の肩のスペシャリストである医師に執刀していただくことができたり、日本では保健医療大学の鈴木慶さんという素晴らしいフィジカルセラピストに出会うことができて、彼はコロナ禍にもかかわらず、わざわざニューヨークまで渡航して献身的に二人三脚でリハビリをしてくださいました。
怒りの感情については、これはよく聞かれる質問で、僕の性格でもあると思うんですが、普段からあまり怒らないたちなのかもしれません。とは言っても、人の人生を一瞬にして壊してしまう人たちによる、あまりにも理不尽な暴力犯罪、差別は許されるものではありませんし、怒りがゼロになるわけではないです。ただ、それでも差別や怒りの負の連鎖は絶対に断ち切るべきだと考えます。
ところで、最近ニューヨークはブロードウェイもジャズクラブもオープンして、ミュージシャンもライブ活動ができるようになってきました。仲間のミュージシャンたちと久々に再会を果たしていますが、話をすると、びっくりするぐらい僕の事件を、まるで今起きたことかのようにものすごいけんまくで怒ってるんです。大事な仲間にどうしてくれるんだって、被害者の僕本人が驚くほど怒っていて。
◇池江選手のカムバックに励まされ
海原 周りにいる人が怒ってくれると、代わりに怒ってくれる思いがしますよね。私も自分が怒っているときに周りの人が怒ってくれると、もういいよ、と思えたりします。リハビリ中はピアノの練習はどうしていたのですか。
海野 昨年手術をして、今年1月頃から初めてピアノを触ったんですけど、最初は動く左手だけで練習を始めました。
不思議なことに、前はもっと弾けたのに、という不安や焦りの気持ちには全くならず、痛みはあるけれど、それよりまたピアノを弾くことができた、生きていてよかった、という気持ちのほうが強かったですね。失ってしまった自分の過去にこだわらず、今あるものに感謝するというのは、水泳の池江璃花子選手が奇跡のカムバックをされて、日本中に希望を与えてくれた時、彼女から発せられる言葉の中にもあり、僕も勇気付けられました。自分の心境にもとても近いものを感じました。
世界中の人からのご支援や心配してくださる声、日本でも仲間のミュージシャンが歴史に残るような素晴らしい配信支援コンサート「Look for the Silver Lining」を開いてくれて、そうした皆さんの温かい気持ちのエネルギーを感じられたことが、大きな支えになりました。
海原 できないことではなく、できることに目を向けるというのは、ポジティブサイコロジー医学のテーマですが、そうした心のベクトルの向け方が、素晴らしいですね。つい、無くしたものに目を向けて気持ちが落ち込むスパイラルに入ってしまいますから。今できることに目を向けて、それに集中していらしたのだと思います。そうすることで、怒りや嫌な気分が入り込む隙間がなくなりますね。
最新作のレコーディングメンバー(中央が海野さん)
◇今ここに生きていることに感謝
海野 心から尊敬していたリーダーで大切な友人のロイ・ハーグローヴが49歳で3年前に亡くなってしまいましたが、ロイと世界中をツアーしていた思い出や、彼の人生最後となってしまったパリでの演奏の姿など、今でも鮮明に思い出されます。今ここに生きていることが、どれだけ当たり前のことではないということは大切な人との別れからも感じてきましたが、コロナ禍になって、なお一層感じています。コロナで大事な人を失った人もいらっしゃいますし、そんな今、2021年にここで生きているということに感謝する気持ちは、今まで以上に強く持っています。
海原 新しいCDのレコーディングもNYでなさったのですよね。
海野 これも新しい発見なのですが、ピアノを思うように弾けない状況でも、音楽は自分の中から決して離れていかない、ということを実感しました。新しい曲が次々に浮かんできて。ここまで自然な形で心から湧き上がってくる創作意欲というのは、今まで経験がなかったかもしれません。そうした気持ちの中でスタジオに入って録音したので、CDにすると2枚分の作品ができました。もしかすると、3枚分かも。1枚はすべてオリジナル曲になりました。
海原 それは素晴らしいですね。
海野 こういうのが、本当のけがの功名というのかもしれませんね。(笑)
取材後記 ピアニストが肩、腕を激しく損傷するということは、実は致命的ともいわれています。そんな状況の中、不安で心を乱すことなく、今できることに目を向け集中し、支援してくれる人たちへの感謝の気持ちでリハビリをしてきた海野さんの心の姿勢が感じられるお話でした。来年1月に再度手術をして、その後しばらくまた演奏ができなくなることもあります。回復過程での演奏を聴ける今、そして長らくライブ音楽に触れることのできなかった中、ようやく緊急事態宣言も解除された今だからこそ、全国ツアーをするということでした。11月12日、東京のブルーノートで最終公演ということです。ツアーも、今後の新作CDの発売も楽しみです。
海野雅威”奇跡の復活”来日ツアー2021
10月25、26日 名古屋The Wiz : 海野雅威トリオ 吉田豊、海野俊輔
28日 岡山 ルネスホール : ピアノソロ
29日 福岡 ボーダー : デュオ with 増尾好秋
30日 熊本 CIB :デュオ with 増尾好秋
11月1日 大分 ブリックブロック : ピアノソロ
3日 黒部市宇奈月国際会館 セレネ大ホール : 海野雅威トリオ
4日 小布施 Bud : 海野雅威トリオ
5日 飛騨高山 日下部民芸館 : 海野雅威トリオ
7日 神戸100 BAN HALL : 海野雅威トリオ
8日 大阪Mr.ケリーズ : 海野雅威トリオ with akiko
12日東京ブルーノートTokyo : 海野雅威トリオwith TOKU, akiko & 小沼ようすけ
そして、10月30日に行われる日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会で海野さんはオンラインで演奏とメッセージを届けてくださるとのことです。医学会は、1年間のアーカイブで一般の人も視聴することができます。
(2021/10/22 05:00)
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