2024/08/30 05:00
婚活、不妊治療の末、養子をわが子に
~産婦人科医が実践「産まない先の選択」~
近年のわが国のスポーツへの関心の高まりや国際競技力の向上に伴い、アスリートのコンディション管理、スポーツ障害・外傷の診断や治療、サポートに当たる医療従事者の果たす役割が大きくなっている。国内だけでなく、海外で行われている国際大会など、スポーツ現場やアスリートの競技活動においてスポーツドクターは欠かせない存在である。男性のイメージが強いスポーツドクターだが、女性のニーズが高まっているという。なでしこジャパンのチームドクターを務める山口奈美医師に、スポーツドクターを目指した経緯、チームドクターで経験したエピソードや魅力について聞いた。
山口奈美医師
◇子供の頃から複数のスポーツに挑戦
私は子供の頃からとにかく体を動かすことが大好きで、水泳、剣道、ソフトボール、サッカーと、複数のスポーツを習っていました。その中でも一番長く続けてきたのがサッカーです。当時、私の地域ではまだ女子チームがなかったので、男子に交じって練習し、中学からは社会人チームに入って練習していました。
神経系統の発達は5歳までで80%、12歳でほぼ100%と言われていて、幼少期にいかに積極的に体を動かすかが、その後の運動神経に大きく関わってきます。整形外科医となって、子供時代に外で体を動かして遊ぶことの大切さを改めて実感しています。
スポーツが楽しくて仕方がない生活を送る一方で、小学生の頃から「お医者さんになりたい」という夢があり、運動も勉強もいかに短時間に集中できるかを常に考えていたように思います。オンとオフをしっかり切り替えれば効率が上がることもスポーツから学びました。
◇海外で学んだ多様な考え方と包容力
高校は地元の進学校に合格しましたが、ダイレクトメールで目にしたスイスの日本人学校の募集に引かれ、高校生活は海外で過ごしました。個性的な同級生たちから日々刺激を受け、長期休暇には友人と欧州各国を巡るという有意義な高校生活を送りました。弱冠10代のこれらの経験は、多様な価値観や考え方、相手への理解など、自己の人格形成に少なからず影響を与えたと思います。また、日本人学校といえどもアルファベットにあふれた生活で、英語への抵抗感がなくなったのも大きかったです。少し遠回りをしましたが、医師を目指す気持ちは変わらず、卒業・帰国後に医学部を受験しました。
オランダ・アムステルダムで行われた国際学会に出席(左は帖佐悦男・宮崎大学医学部付属病院長)
◇整形外科専門医取得、スポーツドクターを目指す
医学部4年生から始まった病院実習で整形外科を回ったときに、科の雰囲気が一番自分に合っていると感じました。子供の頃から携わってきたスポーツと何らかのリンクを期待していたのかもしれません。整形外科専門医になるためには医師国家試験に合格後、6年間は学会のガイドラインに沿って研修を受ける必要があり、研修中は複数の病院を回って整形外科医としての一通りの技術を身に付けます。専門医資格を取得して大学に戻った時には、スポーツに特化したいという気持ちが固まっていました。
研修医時代に、サッカー日本代表の男子のチームドクターを務める先輩との出会いがあり、チームドクターを目指すなら、まずは日本サッカー協会が主催する「サッカードクターセミナー」に参加するように勧められました。同セミナーは医師または歯科医師の資格があれば、診療科や経験を問わず誰でも参加可能で、公式HPから申し込みができます。年に2回、各2日間、全国各地で開催され、1日目は講義、2日目は講義のほかに医師同士でサッカー大会も行われます。サッカー好きなドクターが交流を深め、仲間を増やすというのが主な目的で、この交流試合が楽しみで参加されている先生も大勢いらっしゃいます。サッカーの日本代表のチームドクターは、まずはこのセミナーに最低5回参加することが必須条件で、あとは、いかに自分のやる気をアピールするかで声が掛かる可能性が高まります。
左上から河野恵美子医師、山口奈美医師、稲垣麻里子、左下から吉田慈映、石ヶ森威彬、白川礁
◇サッカー日本女子代表のチームドクターに抜てき
私がこのセミナーに参加し始めた当初、女性医師の参加者は大変少なく、さらに女性医師でサッカーをやっている参加者がかなり珍しかったこともあり、「サッカーのルールが分かる女性整形外科医が入ってきた!」と何かと重宝されました。そして、ちょうど運よく、サッカー日本女子代表のカテゴリーが増えたタイミングと重なったことで、アンダーカテゴリーの帯同ドクターとして声が掛かったのです。まさに自分が長い間、好きで続けてきたこととのリンクがかなった瞬間でした。
2017年から担当しているなでしこジャパンの場合、現在4人のドクターがいます。毎年なでしこジャパンの年間の活動予定が出ると、チームドクターが分担してスケジュールを決めます。2021年の東京五輪まではチーフドクターを務めていましたので、年間60日ぐらいは海外遠征を含め、チームに帯同していました。
(2023/08/07 05:00)
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