一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏

(第2回)
花の東京浪人生活
同級の女生徒とルームシェア

 ◇事実は小説より奇なり

白衣姿の対馬ルリ子氏
 1978年は、国立大学の入試制度が二期校制を取っていた最後の年だった。確実と思って受けた一期校の東北大の受験に数学で失敗し、二期校の弘前大に合格。生まれ故郷に戻ることになった。青森県弘前市に戻ることが決まったある日、父親に「話がある」と呼び出された。

 「弘前に行ったら、『お前にそっくりな人がいる』と言われるかもしれない。言われたら、双子の妹がいると分かった上で対処してくれ」と思いもよらない事実が伝えられた。頭に浮かんだのは「事実は小説より奇なり」という言葉だった。しかし、弘前市にいた6年間で、「ミミちゃん」と妹の名前で呼び止められたことが何度かあったものの、妹に遭遇することはなかった。

 妹の存在を知ってから、対馬氏は「まったく同じ顔の女の子がもう一人いるとしたら、私の価値って何だろう。見た目じゃだめ。内容のユニークさで勝負しよう」と思うようになった。自分なりのオリジナリティーを持ちたい。それが二十歳の原点だった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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