一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第8回) 父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂

 縫合不全は上司のミスとは言えないことが後に分かるが、天野氏は「2度目の手術手技が影響していると思ったので、再び上司に頼もうとはしませんでした。両親は高齢なので実家に近い埼玉県内の病院の方がいいかなと考えて…」とこの時の思いを振り返る。

 父親の血糖値や尿酸値は依然高く、動脈硬化も進み、再々手術とあってリスクは高い。心臓外科医として5年目の天野氏では歯が立たず、父親は県内の大学病院に転院。最初の手術にも立ち会ってもらった心臓外科部長に執刀を依頼した。

 「別の病院で手術を受けることは上司に直接伝えましたが、『縫合不全は一定の確率で起こる』という程度の反応でした。でも内心、上司のプライドはズタズタになったでしょうね。アメリカで経験を積んで自信満々だったのが、自分が手掛けた手術からたった3年で再手術になってしまったのですから」

 上司は心臓外科手術を一から教えてくれた恩師で、父親の手術も信頼して任せられる医師のはずだった。しかし、天野氏は自分自身の手術の腕が上るにつれ、「足りないのは経験だけ。経験さえ積めば上司よりも自分の方がもっとできる」と思うようになっていた。

 最新の論文で読んだ知識を直接上司にぶつけ、手術中に平気で指図するような態度も取った。父親の3度目の手術をできる技量もないのに、「あの頃の僕は生意気小僧で、てんぐになっていた」と当時を振り返る。

 上司にしてみれば、14歳も年下の若者にあれこれ言われ、忸怩(じくじ)たる思いだっただろう。2人の関係は次第にぎくしゃくし、天野氏が亀田総合病院にいながら上司を信頼せず、父親の手術を別の病院で受けさせたことがきっかけになり、ついに決裂した。(ジャーナリスト・中山あゆみ)


→〔第9回へ進む〕父の死「無駄にせず」=心臓外科医究める原点に

←〔第7回へ戻る〕「先見の明」医局残らず=一般病院で手術能力磨く


一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏