女性アスリート健康支援委員会 アスリートの田中理恵は永遠に消えない ~競技者として女性として母として生きる~

自分だけの美しい体操目指した新機軸 【第1回】

 2012年ロンドン五輪で体操の日本代表選手となり、女子体操選手としては長身の157センチの体格を生かした演技で活躍した田中理恵さんに、20年余の競技生活や引退後の生活、現役選手へのメッセージなどを語っていただきました。医師として女性アスリートの健康サポートにも長年携わってこられた「総合母子保健センター 愛育病院」の安達知子名誉院長(東京女子医科大学客員教授)にもオブザーバーとして参加していただき、専門家としての知見を述べていただきました。

田中理恵さん

田中理恵さん

 ◇最初の困難は「ネズミ」

 ―6歳から体操を始めたそうですが、競技を引退するまでに体操をやめたいと思うことはなかったのでしょうか。

 「小学校1年生から本格的に体操を始め、朝は学校に行き、夕方から練習し、帰宅するのは夜の10時という生活でした。家では宿題をして、お風呂に入って寝るだけ。晩ご飯は車の中で、母が作ってくれたお弁当をきょうだい3人で食べていました。それが小学校6年生まで続きましたが、それでも『体操をやめたい』と思ったことは一度もありませんでした。父が上手に体操することを遊びに行く感覚のようにしてくれ、『楽しんでやりなさい』とずっと言ってくれていましたので、すごく楽しく、徐々に技ができる喜びを感じながら6年間を過ごしました」

 ―その後はどうでしたか。

 「中学3年生の時に脚をけがしてしまい、左足首の関節がいわゆる『ネズミ』という状態になり、コンスタントに練習できなくなりました」

 ―「ネズミ」というのは、どんなものでしょうか。

 「関節内遊離体と言われるものです。関節の中で軟骨や骨のかけらが遊離した状態となり、関節内を動き回ることから『関節ネズミ』と呼ばれるようです。関節の狭い隙間に挟まったり、引っ掛かったりすると強い痛みが出たり、可動域が狭められたりします。このせいで、コンスタントに練習ができなくなり、また、3カ月から半年ぐらいで身長が10センチほど伸び、体重も38キロから10キロも増えてしまいました」

 ―けが以外で体の変化はありましたか。

 「中学3年生で月経が来ました。初めて月経が来たことで自分自身びっくりしてしまいました。胸が出てきて、お尻も大きくなってくる。それまで自信を持ってレオタードを着ていたのに、何か恥ずかしいと思うようになりました。その変化に心も体も付いていけなくなり、初めて『体操をやめたい』と思いました。それだけ月経はショックなことでした。その時に、高校の先生をしていた父が『それはいいことなんだよ』と、ひとこと言ってくれたことで救われました。『これからは体重をコントロールしながら筋肉も付けなければいけないし、体脂肪もコントロールしなければいけない』というアドバイスをしてもらいました。『体脂肪はできるだけ13%以下にならないように』といった具体的なことも」

 ―的確なアドバイスをしてもらえたのは体操選手として大きかったですね。

 「中学3年生でアドバイスを受けた時は、まだよく意味が分かっていなかったかもしれません。太っていく自分が嫌だという思いしかありませんでした。それでも毎月、父が『生理は止まっていないか』と言ってくれたり、母もすごく気にしてくれて『あんまり痩せようとするのはやめなさい』と話してくれたりしたおかげで、体の変化に付き合いながら体操人生をずっと過ごすことができました」

2010年世界体操。「エレガンス賞」に選ばれ、笑顔を見せる田中理恵さん(左)。田中さんは個人総合で17位だったが、最も気品のある演技をした選手に贈られる「エレガンス賞」に選ばれた(オランダ・ロッテルダム)

2010年世界体操。「エレガンス賞」に選ばれ、笑顔を見せる田中理恵さん(左)。田中さんは個人総合で17位だったが、最も気品のある演技をした選手に贈られる「エレガンス賞」に選ばれた(オランダ・ロッテルダム)

 ◇日本女子初のエレガンス賞を受賞

 ―それが2010年の世界選手権でのエレガンス賞につながったのですね。

 「はい。大学に入ってからも体は成長していました。女子体操選手としては長身の157センチになっていましたので、大学の先生が『ここまで大きくなってしまったら4回転ひねりとかは絶対できないので、自分らしい、大人の、減点されない美しい演技をして五輪を目指そう。田中理恵だけの体操をつくればいいんだよ』と言ってくださいました。その言葉で、体操競技や練習に対する考え方が変わりました。体操というのは『ただ体が細くて、たくさん回ればいい』と思っていた自分がいたのですが、芸術体操という言葉もあるように、美しい体操で減点されない体操を目指すことも勝つ方法なんだと知ることができました」

 ―まさに「目からうろこが落ちた」ということですね。

 「そうでしたね。まず『他人と比べなくていい』と思えましたし、この大きな体、一般的には小さいのですが、体操選手にしては大きい体がコンプレックスでもあったので、『田中理恵の体操をつくればいい』と感じられたのは大きかったです」

 ―改めて振り返ると、体操競技生活の中で「やめたい」と思ったのは月経が来た時だったわけですね。

 「月経が来た時は自分の中で衝撃でした」

 ―どうしてそんなに衝撃的だったのですか。月経に関する知識はある程度お持ちだったはずなのに。

 「その頃、体操の調子がものすごく良かったので、月経は来てほしくないと思う自分がいました。生理が絶対になければいけない大切な理由もよくは知りませんでした。しかし、月経が来てからは、父母を含めて家族の中で恥ずかしがらずに話すことができたため、女性にとっては月経が来たのはいいこと、うれしいことだと感じることができました。中学3年生で初経というのが遅い方だというのも後で分かったことでした。お友達ともそういう話はしませんでしたが、みんなはもっと早く来ていたようでした」

 安達先生 日本人の月経の来る時期は10歳から14歳が90%を占め、12歳が平均的なところです。理恵さんの場合は14~15歳に来たとすれば、やや遅めですが、その前に第2次性徴の兆候があったかと思います。胸が膨らんできたり、何となく体が丸くなってきたりとか、いろいろな変化があったと思います。


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