女性アスリート健康支援委員会 アスリートの田中理恵は永遠に消えない ~競技者として女性として母として生きる~

自分だけの美しい体操目指した新機軸 【第1回】

 ◇家族の言葉に救われる

 安達先生 体操をすることで、小学校までに相当のエネルギーを使っていたわけですが、それによって初経がやや遅めであった可能性があります。けがによって練習量が抑えられていた状況で月経が来たということは、偶然とはいえ、初経の時期と併せて、けがも乗り越えられたのではないかと思われます。理恵さんの話をお聞きして、これを乗り越えられたのは、一番は家族のおかげなのかと感じました。

 「本当にそうでした。周りに早くに月経が来た選手がいて、『太っているからだ』と怒られていました。だから、当時は『月経は来てはいけないものだ』という発想になってしまっていました。家族、特に父が保健体育の教師だったので『生理が来ることは駄目なことではない。体と体操をうまく両立させながらやっていく方法はあるはずだ』と言ってくれました。さらに『体操人生を長い目で見なさい。体操人生が終わっても、女性としての人生の方が長いから、そちらのことも頭に入れておきなさい』と常に言われました」 

 安達先生 月経が来るということは女性ホルモンがつくられ、分泌されるということです。女性ホルモンというのは2種類あって、コンスタントに毎日同じ量が出ているわけではありません。排卵の周期があるため、波のような形で1種類が単独で出る時と2種類が重なって出る時があります。2種類のホルモン分泌が減少してきた時に月経が起こり、ホルモン減少の影響を女性は体にも心にも感じます。月経時には出血もし、貧血気味になる方や月経直前には体がむくむ方もいます。理恵さんはそういうものを感じることはありましたか。

 「私の場合は生理の1週間前になると、すごく食欲が出るタイプで、体にはむくみがありました。現役当時は体重を45.5キロから46キロの0.5キロの範囲でほぼ365日キープしていました。生理1週間前になると体がむくみ、何も食べていないのに体重が増えているというように、その部分では悩まされることがありました」

 安達先生 月経前には塩分を控えたり、食べ過ぎないようにしたりなど、気を付けたことはありましたか。

 「朝はしっかり食べて、夜は塩分を多く含まない食事、野菜中心の食事にするなど気を付けていました。しかし、動くためのエネルギーが必要ですから、食事は抜かないように意識していました。当時を振り返ると、我慢勝負だったのかなと思います。生理1週間前も我慢して練習しなければいけない状況で、もうちょっと練習量の調整をすればよかったのかもしれません」

 安達先生 練習を維持するためにエネルギーは必要ですが、食べる量とか食べ方を変えるだけでも違います。そのあたりにも相当気を付けていたようですね。

 「そうですね。気を付けていました。やはり毎日ベストを尽くして練習をしたかったものですから、自分の体をできるだけコントロールしたいと思っていました。生理が来るけれども、ただただ気持ちが落ち込むのではなくて、『しんどい体でも動ける練習があるのではないか』とか、『食事をコントロールするだけで体が変わるのではないか』とか、いろいろと常に試していました。まるで実験のように」

田中理恵さん(左)と安達知子名誉院長

田中理恵さん(左)と安達知子名誉院長

 ◇悩んだ3年間、大学で体操人生変わる

 安達先生 月経が来て以降、自分の生活の中でいろいろ経験をしながら工夫されてきたということですね。

 「でも中学3年生から高校3年生までは、それがコントロールできず、試合でも結果が出ず、体重も太ったままで、体形も筋肉が付かない状態で悩んだ3年間でした。その頃は常に『体操をやめたい』と思っていました。大学に入って、また体操人生が変わりました」

 安達先生 体操をやめたいと思ったのは、月経が来た時だけでなく、その後3年間も悩まれていたということなのですね。

 「そうですね。結果が出ないということもあって悩みました」

 安達先生 月経の時には下腹部などの痛みが強いケースがあるのですが、理恵さんはいかがでしたか。

 「ひどい痛みはなかったです。練習に入ると、いつもアドレナリンが出ていましたので、そのせいか痛みはあまり感じていなかったのかもしれません」

 安達先生 大事な試合の時には、月経の時期をずらしたりすることも今では当然できるのですが、そういうこともあまりしないで済んだということでしょうか。

 「私は薬を飲むこと、体に入れることが苦手でしたので一切やりませんでした。その知識はあったのですが、ドーピングの問題も考えて『絶対やらない』と決めていました」

 安達先生 低用量ピルはドーピングには引っ掛からない薬剤ということはご存じだと思いますが、体調がすごく悪い方は上手に使って調整することもできます。理恵さんは、そういうことをせずに済んだということですね。

 「そうですね。今は大学と医療チームとのつながりや選手個人と医療チームのつながりだとかは身近にありますが、当時は、誰に悩みを伝えたらいいのか分かりませんでした。悩んでいる選手はたくさんいましたので、私自身がこういう知識をたくさん持っていれば、日本代表を含めて他の選手にもっと伝えられたのかなと思います」


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