女性アスリート健康支援委員会 アスリートの田中理恵は永遠に消えない ~競技者として女性として母として生きる~

自分だけの美しい体操目指した新機軸 【第1回】

 無月経は疲労骨折の原因に

 安達先生 理恵さんは月経の始まりが多少遅かったわけですが、といっても正常の範囲ですが、一緒に競技をやっていた選手の中には月経が全然来ないという方もいましたか。

 「23~24歳で引退するまで月経がないという選手もいました」

 安達先生 月経が来ないということは、女性ホルモンのつくり方、分泌が非常に少ないということなのですが、骨密度の低下など骨にも影響し、疲労骨折なども起きやすいことなどにより、トレーニングを続けていくこと自体が難しくなっていきます。理恵さんはとてもいいコントロールをされたのだと思います。人生の大事な時期に月経がなくなることもなく、現役を退いてもスポーツに関わりながら、ご自身の生活でもお子さんたちに囲まれて健康な日々を送っていらっしゃいます。

 「月経が止まらないように、無理なダイエットをしないように、体脂肪も減らし過ぎないようにとか、常に両親が言葉を掛けてくれていました。父からは『体脂肪は13%以下にならないように』と言われていましたので、大学時代にはそのことを周りの選手にも伝えることができました。月経が止まると、その後に疲労骨折をしてしまう選手がすごく多く、そこから月経が来なくなるケースもありました。競技力向上という意味でも、痩せて細ければいいというものではないということも伝えていました」(了)

 田中理恵(たなか・りえ) 1987年6月11日、和歌山県生まれ。父親が保健体育教師で、母親も元体操選手という環境で育ち、6歳から体操を始めた。県立和歌山北高等学校から日本体育大学に進学。女子体操選手としては長身の157センチの体格を生かした演技で、2010年の世界体操選手権では日本女子で初めてとなるロンジン・エレガンス賞を受賞。12年の全日本選手権、NHK杯の女子個人総合でそれぞれ初優勝し、ロンドン五輪代表に。兄の和仁、弟の佑典も代表となり、体操史上初めての3きょうだいそろっての同時出場を果たした。13年に現役引退。公益財団法人日本体操協会理事。田中体操クラブゲストコーチとしてスポーツ・体操の普及活動などを行っている。

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