「医」の最前線 乳がんを書く

医師も人間、完璧はない
~自分の直感を信じる~ (医療ジャーナリスト 中山あゆみ)【第6回】

 私は2020年10月30日、乳がんの手術を受けた。右乳房上外側のしこりの感触に慌てて乳腺専門クリニックで診察を受けた、その約1年前、「以前からある良性の腫瘍で、がんに変化する心配はありません」と言われ、その言葉を疑いもしなかった。半年前に経過観察に行ったときも診断は変わらず、すっかり安心しきっていたのだ。

 都内の総合病院で術後の診察時、主治医に「信じていたのに」とこぼすと、「あなたは何をもって、そんなにその医師を信頼したんですか?」と問われた。「『マンモグラフィ検診精度管理中央委員会』の読影A判定だし、日常の診療以外にも、乳がんの早期発見のための活動もしているし、これまで仕事で何度もお世話になってきたし、人柄も実直で好感が持てたし…」と言うと、「読影A判定なんて、うちの病院の医師、全員持っていますよ。そんな程度で信じ切るなんて、ジャーナリストとして、どうかな」。この主治医の言葉が、グサリと胸に刺さった。

マンモグラフィーの読影をする医師

 乳がん検診で、乳房を挟んでX線撮影を行うマンモグラフィーの読影医には、A~Ⅾまでのランクがあるが、Aなら完璧というわけではない。どんなに腕の良い医師でも見落としはある。さまざまな統計を見ても正診率100%ということはない。にもかかわらず、私は1人の医師に、「この先生に診てもらっていたら絶対に大丈夫」という非科学的な判断をしてしまい、他の医師の話に耳を貸さなかった。

 取材現場でよく顔を合わせていた読売新聞・ヨミドクター元編集長の堀川真理子氏に無念の思いを話すと、「あなたは、これまで一字一句間違えずに記事を書いてきましたか?」という言葉を投げかけられた。「その医者はけしからん」と同調してくれると思っていたので、今度はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。私は無意識のうちに、自分の信頼した医師は、どんなときも常に冷静で正確な判断をするものだと勝手な幻想を抱いていた。

 ◇医師の感情

 医師も感情を持った人間。そんな当たり前のことに気付き始めた頃、取材先の医師から医学教育の父と言われているウィリアム・オスラーの『平静の心』を紹介された。

 そこには、医学の難しさと、医師が判断に間違いを犯し得ることを自覚する必要性が説かれている。「最上の訓練を受けた能力の持ち主でも観察のミスは避けられない」「さまざまな憶測で事を行うような医術の場合には、判断の誤りがどうしても起こりうる」と明記されている。そして、「この点をはっきりと心得て、二度と同じ失敗をしないよう、その誤りから教訓を引き出すことが大切だ」と指摘している。

 100年以上前にアメリカで出版された講演集の一節だが、現代にも通じる内容だと思った。

 また、アメリカの内科医ダニエル・オーフリによる『医師の感情』を読むと、医師という職業が、常に感情を揺さぶられる職業であることが分かる。人の生き死に関わる日常の中で、常に平静の心を持つというのは難しいだろう。医師と患者の関係も人間関係の一つ。お互いが影響し合って物事が動いていく。感情が影響することを認めることからスタートすることが必要なのだ。

 ◇自分の命に最も関心を持っているのは自分

 「検診を受けた乳腺専門クリニックの医師が特別、問題のある医師というわけではない」と手術を受けた総合病院の主治医は話す。5mmにも満たない小さながんを見つけ、紹介してくることもよくあるという。この程度の見逃しは珍しいことではなく、とんでもないミスとまでは言えない許容範囲なのだろう。

 経験豊富な医師でも、年に何回かは、「がんではないと思っていたら、やはりがんだった」ということがあるという。

 私の知人も、医師に「大丈夫」と言われたが、「どうしても検査してほしい」と粘って、結果、がんが見つかった。

 医師は専門家であり、常にベストを尽くすよう訓練されている。しかし、自分の命を守ることに最も関心を持っているのは自分なのだ。不安に思うことがあれば、積極的にセカンドオピニオンを取って、自分で自分の身を守るくらいの気概が必要だ。

 自分でしこりを見つけ、「がんに違いない」と駆け込んだにもかかわらず、「心配ない」と言われ、喜んで帰ってしまった自分が愚かだった。「これは、まずい」と思った自分の直感は、たとえ素人でも軽んじてはいけないと思った。

 がんであるかどうかは組織を採取して病理検査をしない限り分からない。「検査をしてください」と頼めば、拒否されることはまずないだろう。

 「『針生検』を勧めましたが、経過観察を希望されました」。主治医の手元に置かれたクリニックの医師からの紹介状にそう書いてあるのに目が止まった。私が「針生検」を受けたのは、自分でがんだと思って受診してから1年後のことだ。しこりが前より大きくなっていることを指摘され、この時はじめて積極的に「針生検」を勧められた。さまざまな医師にこの話をすると、「医者はね、自分に不利になるようなことは絶対にカルテに書かないの。訴えられたら困るからね」と言われ、複雑な思いが残った。

ウィリアム・オスラー『平静の心』、ダニエル・オーフリ『医師の感情』

 ◇経過観察を怠らない

 術後の病理検査の結果、手術でがんの取り残しは確認されず、追加の手術も化学療法も行わずに済んだ。思っていたより、がんは進んでいたけれど、当初の治療方針を大幅に変更せずに済んだのだ。たまたま私の乳がんのタイプが進行の遅いルミナールAで、半年に一度の経過観察を怠らずに、きちんとクリニックに足を運んでいたからこそ、見逃されても最小限の進行で済んだのだ。うっかり受診を忘れたり、忙しいからと先延ばしにしたりしてしまっていたら、もっと深刻な事態になっていたはずだ。

 ◇AIが切り開く未来

 人工知能(AI)は医療のあらゆる分野で導入が期待されているが、最も期待されているのが、レントゲンやエコー(超音波)、MRIなどの画像から行う画像診断の分野への導入だ。21年5月には、新型コロナウイルス肺炎の画像診断を支援するAIシステムが国内で医療機器として承認され、話題となった。

 日本は画像診断機器の台数が多いのに対して、放射線科医の不足が深刻化している。放射線科の医師の負担を減らすためにも、AIの導入が必要とされている。

 また、画像診断にAIを活用することで、病変の見逃しを減らせることが期待されている。最終的には、医師が問診や患者の病歴などの情報を総合的に判断して診断するのだが、最新技術を使うことで、今まで以上に正しい診断ができるようになるのではないかと期待する。(了)


中山あゆみ

 【中山あゆみ】

 ジャーナリスト。明治大学卒業後、医療関係の新聞社で、医療行政、地域医療等の取材に携わったのち、フリーに。新聞、雑誌、Webに医学、医療、健康問題に関する解説記事やルポルタージュ、人物インタビューなど幅広い内容の記事を執筆している。

 時事メディカルに連載した「一流に学ぶ」シリーズのうち、『難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏(第4回・5回)』が、平成30年度獨協大学医学部入学試験の小論文試験問題に採用される。著書に『病院で死なないという選択』(集英社新書)などがある。医学ジャーナリスト協会会員。

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