「医」の最前線 抗がん剤による脱毛を防ぐ「頭皮冷却療法」

英で始まった頭皮冷却療法
~抗がん剤投与への抵抗減る~ (医療ジャーナリスト 中山あゆみ)【第1回】

 抗がん剤治療による脱毛を防ぐ方法があることをご存じだろうか?2019年3月に厚生労働省が薬事承認した後、21年版の「がん治療におけるアピアランスケアガイドライン」でも推奨され、科学的根拠のある治療法として注目されている。

 がん治療に伴う脱毛は男女とも大きな悩みになる。中でも、患者がほとんど女性であり、若年でも罹患(りかん)すること、長期に生存する可能性が高いことなどから、まず乳がんで術前術後の抗がん剤治療を受ける患者に対して臨床試験が行われ、エビデンスが示された。これを受けて、現在、保険外診療として全国約50カ所で導入されている。今後はさまざまながんに対してエビデンスが蓄積され、診療科を越えて普及していくことが期待される。

写真1=Kinoshita T , et al. Front Oncol. 2019. より引用

写真1=Kinoshita T , et al. Front Oncol. 2019. より引用

 まだ始まったばかりの新しい治療だけに、ひと筋縄ではいかない問題もたくさんある。しかし、今まで脱毛に対する対策は全くなかったところから比べれば、患者にとっては朗報だ。脱毛を理由に抗がん剤治療を受けない患者も減り、患者の治療意欲にもつながることが期待される。試行錯誤を重ねて、ようやく軌道に乗ってきたという虎の門病院化学療法室で現場の声を聞いた。

 ◇英で開発

 脱毛を防ぐ方法があれば、抗がん剤治療を受けることへの抵抗感も減るのではないだろうか―。そんな思いから生まれた頭皮冷却療法は、1997年に英国で装置のプロトタイプが開発された。

 頭皮冷却療法のメカニズムは、頭にヘッドギアをかぶり、その中にマイナス4℃に冷やした液体を還流させることで、血管を収縮させて頭皮に血流が行かないようにするというシンプルなものだ。抗がん剤は点滴で血管を通して全身に運ばれる。その結果、毛根の細胞にまで抗がん剤が効いてしまうために脱毛が起こる。頭部を冷やして血液の循環を悪くすることで抗がん剤が届かないようにする。

 ◇ビールを冷やす技術を応用

 装置を開発した英国のメーカー「Paxman」は、元はビールサーバーの冷却システムを造っていた会社だ。会長の妻が乳がんになったことがきっかけで、頭皮冷却の装置を開発した。脱毛を悲しむ妻の姿に、化学療法後の脱毛がどれほど精神的なトラウマになるのかを痛感し、本格的な装置の開発に乗り出したという。

 2012年には、オランダで1411人を対象に行った大規模比較試験の結果、頭皮を冷却した患者の50%が化学療法を行っている間もウィッグを必要としなかったという論文を発表した。

 17年には、米国で行われた二つの比較試験(ベイラー大学・カリフォルニア大学)で、頭皮を冷却した患者のそれぞれ51%、66%が50%以下の脱毛にとどまったというデータが米国医師会雑誌(JAMA)に掲載された。これを機に、またたく間に欧米で頭皮冷却療法の本格的な導入が始まった。

 ◇脱毛が50%未満にとどまり、ウィッグ不要に

 日本では10年代前半に、国立がん研究センターが初めて頭皮冷却療法を研究導入した。当時、同センターのチーフレジデントだった虎の門病院乳腺・内分泌外科の田村宜子医長は、当時の上司である木下貴之医師から、この医療に対する並々ならぬ熱意を聞いていた。

 国立がん研究センターが19年にまとめた報告によると、頭皮冷却を行った乳がん患者30人のうち1人は脱毛が全く見られず、7人は脱毛が50%未満とどまるという結果が出た。欧米のデータと比べて低い数字となったが、論文には判断基準が厳しかったためという考察が加えられている。

 このように、頭皮冷却療法を行えば、完全に髪が抜けないというわけではない。しかし、冷却しない場合は、抗がん剤投与後2~3週間で髪の毛がほぼ完全に抜け落ちる。当事者の立場になって考えると、その違いは大きい。

 写真1で見ると一目瞭然だ。写真の一番右側は頭皮冷却を行わない場合で、毛髪がまったく残っていない。頭皮冷却を行った左側3人は個人差があり、全く抜けない人もいれば、2割くらい抜ける人、7割以上抜けてしまう人もいる。

 「これくらいで止まっているということは、抜けたところの毛根も死んでいないため、回復が早い。それがこの治療のメリットでもあります」と田村医長は説明する。

写真2=Kinoshita T , et al. Front Oncol. 2019. より引用

写真2=Kinoshita T , et al. Front Oncol. 2019. より引用

 ◇治療中に毛が生えてくる

 抜けてしまっても、次の毛が生えてくる立ち上がりが速いことも大きい。抗がん剤投与が終わり、毛髪が生えてくるまでをフォローしたデータ(写真2)を見ると、上2段の2人は頭皮冷却を行っても脱毛しているが、抜け切るまではいかず、抗がん剤が終わって1カ月でかなり回復している。

 一方、頭皮冷却をしない場合、抗がん剤が終わった段階で完全に毛髪が無くなり、1カ月後でもあまり変わらない。3カ月後にようやく頭皮が見えない程度にはなるが、2年で8割の人が80%以上回復する程度で、脱毛後の回復に要する時間は長い。また、脱毛した後、3年たっても40%以上の患者が元の状態まで回復せず、薄毛、脱毛、白髪、くせ毛などの問題を抱えているとの報告もある(The Oncologist 2019;24:414-420)。

 「通常は、脱毛してから生えそろうまでに、かなり時間がかかってしまい、3カ月後くらいでも、まだベリーショートくらい。この段階で、ウィッグ(かつら)を外す勇気がある人は多くありません。頭皮冷却を行った患者さんの髪が、抗がん剤投与中に生えてくるのを見たときは本当に驚きました」と田村医長は話す。

 しかし、臨床試験で一定の成果を得たとはいえ、医療機関が頭皮冷却療法を導入するのは、そう簡単なことではない。実際に、全国どこにいてもこの治療を受けられるという状況になるまでには、まだ多くの課題が残されている。(了)


中山あゆみ

中山あゆみ

 【中山あゆみ】

 ジャーナリスト。明治大学卒業後、医療関係の新聞社で、医療行政、地域医療等の取材に携わったのち、フリーに。新聞、雑誌、Webに医学、医療、健康問題に関する解説記事やルポルタージュ、人物インタビューなど幅広い内容の記事を執筆している。

 時事メディカルに連載した「一流に学ぶ」シリーズのうち、『難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏(第4回・5回)』が、平成30年度獨協大学医学部入学試験の小論文試験問題に採用される。著書に『病院で死なないという選択』(集英社新書)などがある。医学ジャーナリスト協会会員。

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