こちら診察室 アルコール依存症の真実
依存症の夫支えた誤り 第11回
前回、「依存症の夫から逃げ出した女性」の話を書いた。今回はその女性(真理子さん・仮名)が夫に振り回され、結局は夫が酒を飲み続けることに手助けしてしまういきさつをつづっていく。
夫が怖く、飲酒を助長させてしまう妻
◇長男の嫁
夫となった男性は高校の社会科の教師だった。物知りで話が面白い。相手方の親との同居に若干のためらいもあったが、「長男なら仕方がないな」と真理子さんは結婚に踏み切った。夫から逃げ出す30年前のことだった。
夫の家には、しゅうととしゅうとめがいた。どちらも夫に甘く、特にしゅうとめは嫁に厳しかった。
「息子はそのうち校長先生になるんだからね」。これがしゅうとめの口癖だった。
夫が泥酔状態で家に帰って来ても、「いろいろ気を使うんだねえ、苦労が多いんだね」と言いながら、しゅうとめが率先して介抱した。真理子さんは酔っ払いの臭いは大嫌いだった。
◇絶対のルール
しかし、そんな素振りは見せられない。しゅうとめに命じられるままに布団を敷いたり、着替えを手伝ったりした。やがて、酔った夫の世話は嫁の役目となった。
「嫁が夫をたしなめる言い方は絶対に許してくれませんでした。嫁は夫に対して対等に口を聞いてはいけないのです」と真理子さんは語る。それが嫁ぎ先の絶対のルールだった。しゅうととしゅうとめが他界しても、そのルールは夫婦の力関係として定着し、変わることはなかった。
◇暴言を浴びせる夫
結婚当初、夫が泥酔して帰って来るのは月に1〜2回ほどだった。長男が生まれた頃には週1回、次男の頃は週2回、三男が育つ頃になると2日に1回と増えていった。
家での夕食時にも酒は欠かせない。酔う前は、「これうまいね」と褒め言葉も口にする。ところが、酔いが回ってくると、「あれを作れ、これを作れ」と大声でつまみの注文が始まる。真理子さんが「できません」と言うものなら、声が大きくなり、暴言を浴びせるようになった。暴言は妻だけに向けられ、子どもたちに向かうことはなかったが、真理子さんはこう振り返る。
「子どもたちは私に浴びせられる汚い言葉を聞くのが嫌だったんだと思います。さっさと夕食を済ませ、2階にある自分たちの部屋に上がっていきました」
暴言に暴力も加わるようになった。また、外で飲んで帰ってくる日には、子どもたちは父親が帰って来る前に自分たちの部屋に逃げ込んだ。
◇子の父親への思い出
子どもは3人だ。長男に次男、三男それぞれに父親に対する思い出は異なっている。例えばキャッチボールの思い出だ。
「長男と夫は公園でキャッチボールをよくしました。次男の時は回数は減りましたけれど、それでも2人を連れて公園に出掛けたことがありました。でも三男は父親とキャッチボールをしたことはありません」
真理子さんは続ける。
「特に三男はかわいそうでした。上の子たちは『いいときのお父さん』を少しは知っているのですが、三男にはいい思い出が全くありません」
長男は大阪、次男は東京の大学を受験し、実家のある九州から逃げ出した。残されたのは三男だ。三男が高校生の頃には、毎日が修羅場となった。
◇母親失格
夫の酒量はどんどんエスカレートし、泥酔して帰宅するのが常態化していた。ある日、玄関でいびきを立てて寝てしまったことがある。口から泡を吹いている。泡は拭き取ったものの、真理子さん一人では寝室に連れて行くことができない。
「2階で勉強をしている三男に手伝ってもらい、寝室まで引きずっていきました。服を脱がせて布団に入れて、また起きられると困るから、そっとそっと抜け出します」
警察から電話が来た日もあった。酔いつぶれた夫が警察に保護されているというのだ。真理子さんは三男と一緒に警察まで行き、タクシーで連れ帰った。真理子さんは自分自身の行為に眉をひそめる。
「そんな手伝いを子どもにさせるんですよ。母親失格です。私はといえば、腫れ物に触るように夫を扱うしぐさが身についてしまって、本当に情けないことなんだけど、その時はそれ以外に自分の身を守る方法はないと思っていました」
真理子さんは心底、夫が怖かった。
「逃げる私を、血相を変えて家中追い掛け回すこともありました。どうすれば、夫を怒らせなくて済むのか。私の頭の中はそればかりを考えていました」
◇「イネイブラー」になった
依存症の本人が酒を飲み続けることを可能にする人を「イネイブラー」という。本人の言動におびえ、一喜一憂して振り回されるのも特徴だ。真理子さんは、まさにイネイブラーであった。それを裏付ける真理子さんの証言を並べる。
「食事をしていて、夫に『あれを作れ、これを作れ』と言われたときに、『その要求にすぐに応えられるようにしておけばいいんだ』と思うようになりました」
「夫が吐くことも少なくありません。『きょうは吐きそうだな』と思ったらそれに備えます。そして吐いたらすぐに片づける。起きた時に吐物がなければ、夫はみじめな気持ちにならず、いい関係でいられるかなと考えました」
「休みの日は昼間からお酒を飲むことがありました。お酒がなくなると買いに行かされました。実は、うちの近所に酒屋さんはあったのですが、そこで買うと『また休んで昼間から酒を飲んでるのか』と思われます。だから、わざわざ遠くの酒屋さんまで買いに走りました」
◇ズル休みの言い訳も
「『きょうは休む』と夫が言えば、私が学校に電話をかけます。『熱があるのでとか、下痢をしたのでとか、頭痛がひどいのでとか』と休む理由をでっちあげました」
このようにして夫は酒を飲み続けた。家族も巻き込まれ、アルコール依存症の泥沼に深くはまり込んでいった。
真理子さんは「今我慢すれば、私が我慢すれば、きっと何とかなるかもしれない」と思い続けた。だが、何ともならないのがアルコール依存症なのだ。(続く)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
ジャーナリスト
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。
(2022/04/12 05:00)
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