医学部トップインタビュー
社会的ニーズが急上昇
働く人の健康を守る―産業医科大学
◇研究者冥利(みょうり)に尽きる
「小学校の校庭にヘリコプターが降りてきて、白衣を着た父が患者さんを搬送して行ったのをよく覚えています」
自然に医師を目指すようになり、中学を卒業すると下宿して長崎市内の高校に進学、産業医科大学に入学した。
「父は近くの鉱山の診療所の医師も兼務していて、よく往診に行っていました。小さい時の原風景がなんとなく産業医科大学とつながったのかもしれません」
専門領域は生理学・神経内分泌学。英国ブリストル大学への留学をきっかけに、ストレスに関する研究に長年取り組んできた。ホルモンの一種であるオキシトシンの研究もその一つ。
「オキシトシンは出産のときに子宮収縮を促し、母乳を出させるホルモンですが、女性だけでなく男性にも分泌されていて、人と人の絆を深め、自閉症の症状の改善に役立つ可能性など、いろいろな作用を持っていることが分かってきました」
動物実験で、オキシトシンの遺伝子に蛍光たんぱくをコードしている遺伝子を組み込み、ネズミの神経細胞に蛍光たんぱくを発現させることに成功した。
「オキシトシンがたくさん産生されたら赤い蛍光が強くなる。ニューロンが光っているのを世界で初めて顕微鏡の下で見た時は、うれしかったですね。研究者冥利に尽きます」
このような経験が、大学人として研究を続ける原動力になっているという。
◇産業医学への高い志を
初代学長の土屋健三郎氏が産業医科大学の第1期生の入学式で述べた建学の使命を、現在に至るまで大切に語り継いでいる。
「産業医科大学は人間愛に徹し生涯にわたって哲学する医師を養成する。環境科学とライフサイエンスとの融合とその発展に尽くす。新しい生態学を発展させ、産業医学と地域医療との有機的な結合を図る。新しい福祉社会の確立を目指す、という内容です。40年たった今もまったく色あせずに大学の使命を語っている。素晴らしい先見の明があったと思います」
働く人の健康を守ることは、すべての人々の幸福な生活を守ることにつながる。産業医学を通して社会に広く貢献する産業医科大学の役割がますます注目される。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)
【産業医科大学 沿革】
1978年 産業医科大学設立
79年 大学病院診療開始
84年 産業医科大学大学院開設
86年 産業生態科学研究所開設
89年 産業医学卒後修練課程開設
91年 産業医実務研修センター開設
2011年 産業医科大学若松病院開院
16年 ストレス関連疾患予防センター設置
- 1
- 2
(2019/08/21 10:59)