医学部トップインタビュー

研究・教育で国際連携活発に
~世界リードする医療の開拓者目指す―名古屋大学医学部~

門松健治・名古屋大学医学部長

門松健治・名古屋大学医学部長

 名古屋大学医学部は1871年に名古屋藩の仮医学校として発足した。2021年で150周年を迎え、日本で最も古い大学医学部の一つだ。国内で初めて骨髄バンクをスタートさせたほか、CTの基になる回転式X線撮影機器の開発、発汗メカニズムの解明、世界中で脳動脈瘤の治療に用いられているクリップの発明、球脊髄性筋萎縮症の治療法の発見など数々の実績を積み重ねてきた。門松健治医学部長は「歴史的に地域医療を支えてきた自負はあります。学生たちにはそれだけにとどまらず、世界中の人々に役に立つ医学、医療を自分たちで開拓していく気持ちを持ってほしい」と期待を寄せる。

 ◇研究医の育成強化

 専門医志向が高まる一方で、研究への道を志す学生が減少傾向にあるのは、各大学に共通する課題だ。

 「研究と言うと、試験管を使って基礎研究をするだけというイメージを持たれがちですが、近年、臨床研究の重要性が認識されてきています。基礎も臨床も橋渡し(トランスレーショナル)研究もある。どれを選んでも医学、医療の開拓者になれる。少なくとも日本で開発した医薬品を、日本のデータで認可できるような状況を目指したい」と研究科長も兼任する門松医学部長は話す。

 かつては、1年生に「研究に興味を持っているか」と聞くと、半分以上が手を挙げていた。ところが、6年生になると1割にも満たなくなってしまう状況だったという。しかし、さまざまな取り組みの結果、現在では各学年で約20人、学部全体で約100人が研究室に出入りするようになったという。

 きっかけとなったのは、2002年から始まった文部科学省の研究拠点形成等補助金事業・ COE(Center of excellence)プログラムへの採択だ。

 さらに、学生に研究の魅力を伝えるMedical science cafe、論文作成や研究発表について学生が主体的に学ぶ学生研究会、3年次に6カ月間、基礎の研究室に入る基礎医学セミナーなどを設けたところ、徐々に研究への機運が高まってきた。

 「いい医師になるのか、医学医療の開拓者になるのか、二者択一である必要はなく、両方選べる場合もある。そういうメッセージを必ず学生たちに出しています」

キャンパスの入り口に掲げられる医学部の看板

キャンパスの入り口に掲げられる医学部の看板

 ◇国内初の国際共同博士課程プログラム

 世界をリードする研究を進めるためには、諸外国との連携が欠かせない。国際連携室に教授も含めて5人の専任教員を配置し、本格的な国際化を進めている。

 最も力を入れているのが、2015年に海外の大学と共同で設立した国際共同博士課程プログラム(ジョイント・ディグリー・プログラム)だ。国内初の取り組みで、4年間の博士課程のうち、1年間以上海外連携大学に滞在し、多角的な視野から研究する。

 「二つの大学から一つの学位を授与するもので、世界大学ランキングのトップ100レベルの名門大学3校と連携しています」

 さらに、海外の医学部と共同でGAME(Global Alliance of medical excellence)を設立、未来の医学教育や国際的な共同研究の発展を目指している。名古屋大学、高麗大学(韓国)、ミュンヘン大学(独)など8大学が参加する。

 「学部教育、大学院教育、共同研究すべてにわたって広範囲の活動をしており、学生の支援や、他大学のカリキュラムを学ぶ良い機会になっています」

 ◇臨床実習を海外で経験

 英語での医学教育も積極的に進められている。GAMEに参加する3~6校の大学から学生が参加して、学生同士で議論しながら講義を進めるという取り組みを3~4年生で実施している。来年度からは、オーストラリアのモナシュ大学の300人と名古屋大学の100人の計400人の学生が一つの講義を同時に受けるという。

 「時差がほとんどないので、ライブで両国の先生が英語で講義します。医学部の学生の英語のレベルは高いので、それほど抵抗なくできるのではないかと思います。オンラインでも10回くらい顔を合わせると、学生同士が友達になって、クリスマスプレゼントの交換をしたりして、とてもいい関係が築けていると思います」

 オンラインでの講義は、コロナの副産物ともいえる。

 6年生では、臨床実習を海外で行う機会も設けられている。病棟に当直しながら実際に患者のケアにも携わるもので、米、英、独、ポーランド、オーストリア、スウエーデン、オーストリア、中国、台湾など数多くの大学と1~3カ月間、交換留学するという全国的にも珍しい取り組みだ。


長い歴史を物語る医学部独自の史料館

長い歴史を物語る医学部独自の史料館

 ◇多様な学生に来てほしい

 地域医療に貢献する医師を育てることも重要だが、必ずしもそこにこだわってはいないと言う。

 「ダイバーシティーがすごく大事。九州や関東地方からも学生が来ていますが、もっと広く、沖縄から北海道まで全国から来てほしい。卒業後、出身地に戻っても全然かまいません。総体として日本の医学医療が展開することが大事だと考えているからです」

 他大学に入学した名古屋出身の学生が、卒業後、地元に戻ってくるケースも非常に多いという。

 「私自身もそうですが、名古屋大学の医局の半分以上は他大学出身者です。それを受け入れるだけの度量があるのだと思います」

 ◇広く社会を知る教育を

 門松医学部長が今後、実現させたいのは、学生が広く社会を知る機会をつくることだ。

 「医学の世界しか知らないのでは、あまりにも世界が狭すぎる。ボランティア活動を重視するような教育が必要です。介護施設でも市役所でもIT企業でも、どこで働くのでもいい。必修化して単位として認めるような仕組みを考えていきたい」

 医学教育分野別認証評価の影響で、医学部は臨床実習の時間が大幅に増え、教養科目にしわ寄せが出てきている。対策として、1、2年生の教養教育の時間が短くなった分、3年生から大学院まで一貫して教養教育の時間を設けている。

取材に応じる門松医学部長

取材に応じる門松医学部長

 ◇For the Publicの精神で

 門松医学部長は九州大学の出身。周産期医療に興味を持ち、産婦人科、小児外科で研修後、鹿児島大学の大学院に進んだ。

 「当時は、2年間研修すると大学院に入るのが普通の流れでした。結局、臨床に戻らずに発生学の研究を続け、米国のNIHの客員研究員として赴任。1993年からはずっと名古屋大学です。ここでいろんな人に育ててもらったので、恩返しだと思って、研究科長としても頑張っています」

 好きな言葉は、「For the Public」。狭い世界の利益を追求するのではなく、広く社会のために役立つ仕事をしていきたいという考えだ。

 「医学の世界は、真理を追究することの先に社会とか患者がいる。学生に期待したいのは、名古屋大学のため、日本のためではなく、人類に役立つという視点を持ってほしいということ。特に困ったときには、自分のやっていることが社会に役立つかどうかを考えると、正しい決断ができると思うのです」

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


 門松 健治(かどまつ・けんじ) 名古屋大学大学院医学系研究科教授(生物化学講座分子生物学分野)。1982年3月九州大学医学部卒業後、九州大学大学院医学研究科単位取得退学、医学博士。 鹿児島大学医学部助手 (第二生化学)などを経て、2004年9月名古屋大学大学院医学系研究科教授。名古屋大学予防早期医療創成センター長、同大大学院医学系研究科研究科長、糖鎖生命コア研究所長を兼任する。


【名古屋大学医学部 沿革】

1871年 名古屋藩が仮医学校を開設

  73年 医学講習場(西本願寺別院)設置

  76年 公立医学講習場に改称

      公立医学校と改称

  77年 愛知医学校と改称

1901年 愛知県立医学校と改称

  03年 愛知県立医学専門学校に昇格

  14年 天王崎町から鶴舞町へ移転

  20年 愛知県立愛知医科大学を設置

  31年 名古屋医科大学となる

  39年 名古屋帝国大学の発足

  47年 旧制の名古屋大学となる

  49年 新制名古屋大学が発足、名古屋大学医学部となる


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