治療・予防

「音」で認知機能改善へ
~脳波に着目したアプローチ~

 「人生100年時代」と言われる今、ますます心や身体の健康が求められている。その一つとして「脳の健康」を保つことがとても大事だが、大きな妨げとなるのがアルツハイマー型認知症だ。治療の決定打がない中で、日常生活にあふれる「音」の刺激によって脳を活性化し、認知機能の改善や認知症の予防を目指す取り組みが日本でも始まった。

 超高齢化社会の到来で認知症患者は増加を続けている。2012年に65歳以上の6人に1人が認知症を発症し、25年には5人に1人が認知症に罹患(りかん)すると推計されている。認知症の種類には、アルツハイマー型、血管性、レビー小体型、前頭側頭型などがある。そのうち67.6%を占めるアルツハイマー型は、アミロイドβ(ベータ)というタンパク質が脳の神経細胞の周囲に蓄積することで神経の変性が進み、脳が萎縮する。

脳波測定実験の風景=実施のイメージ=

脳波測定実験の風景=実施のイメージ=

 ◇五感を刺激する

 世界保健機関(WHO)は19年、認知機能低下と認知症リスク低減に関するガイドラインを発表した。そこで注目されるのが、脳に刺激を与えることで認知症を予防しようという「知的介入」というアプローチだ。脳への刺激という観点から注目されるのが、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の「五感」への刺激だ。

 古賀良彦・杏林大学医学部名誉教授は嗅覚に関し、コーヒーを例に挙げて説明する。「コーヒーには、モカマタリやグァテマラ、ブルーマウンテンなど多くの種類があり、それぞれ香りが異なる。コーヒーの愛飲者は、その香りや味わいを楽しむ。大事な点は、この香りによって認知機能のスピードが高まることだ」

 コーヒーの香りは痛みもなければ、かゆくもない。コーヒーが認知機能改善につながるなら、うれしい驚きだ。では、音についてはどうだろうか。

脳波にはタイプがある

脳波にはタイプがある

 ◇γ波が認知機能に影響

 米マサチューセッツ工科大学(MIT)のツァイ博士は、五感刺激による認知症予防の論文を権威ある学術誌に発表してきた。19年のマウスを使った研究で、40ヘルツ(Hz)周期の断続音を聞かせると「ガンマ(γ)波」という脳波が発生した。その結果、アミロイドβが減少し、目的地に向かったり、戻ったりする時に機能する「空間記憶」が改善されたことが分かった。

 脳波にはタイプがあり、γ波は30Hz以上、β波は14~30Hz、最もよく知られているアルファ(α)波は8~13Hzとなっている。

 同博士の研究チームは22年、ヒトについても第1段階の臨床試験で40Hzの断続音と断続光を同時に与えることでγ波が脳内に発生することを報告した。被験者は健常者の若年層と高齢層、軽度のアルツハイマー型認知症患者だ。

脳波は認知機能に関係する

脳波は認知機能に関係する

 ◇「変調」が鍵に

 大学発のベンチャー企業「ピクシーダストテクノロジーズ」は塩野義製薬との共同研究で、40Hz周期のパルス音でなくても、「変調」を施した音源で脳内にγ波を引き起こすことを実証した。

 ラジオのAM、FM放送は電波に音声を乗せる。理論は似ており、音声に40Hzの振動を与える。これはブザーのような音ではないために、脳波がきれいに同期する。

 例えば、楽曲をボーカルと楽器という二つの部分に分け、楽器の方だけを変調する。ボーカルと楽器の両部分を変調した方がより効果は大きいが、聞きにくい。必要な効果を得ると同時に、聞きやすい音であるかどうかがポイントになる。

 テレビやラジオのニュースやスマホを通じて聞く音楽など、日常生活であふれる音が認知機能を維持したり、改善したりすることにつながれば、患者の負担が少ない上に持続できるというメリットが生まれる。

 ◇音で認知症に挑め

 塩野義製薬の三春洋介・ヘルスケア戦略本部長は「音は暮らしの中に溶け込んでいる。意識することなく、認知機能改善などへ希望が見いだせる」と言い、ピクシー社の村上泰一郎・代表取締役COOは「『音で認知症に挑め』を目標に掲げた。認知症という治療の決定打が出ていない領域で、ここをスタートに社会実装に向けて頑張りたい」と語る。

 ただ、三春本部長は「製薬会社とテクノロジーベンチャー2社だけでは限界がある」と社会実装に向けた課題を指摘。NTTドコモやSOMPOひまわり生命、三井不動産など認知機能ケアに関心を持つ企業との連携に期待する。

 古賀名誉教授は音の刺激による認知症予防について「取り組みは緒に就いたばかりだ」と指摘した上で、「今後、効果や安全性の研究が進み、中高年層ばかりではなく熟年層も含めて人生100年時代のウェルビーイングがもたらされるように期待する」と強調する。(鈴木豊)

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