治療・予防

認知症は人生の終わりではない
~一人受診、本人の会で変わる状況~

 認知症という病名はよく知られているが、いまだに誤解も多い。決して「認知症イコール人生の終わり」ではない。東京慈恵会医科大学の繁田雅弘教授は「認知症は基本的に治らない病気だ。できないことはある。しかし、できないことが増えたとしても生きる意味はある」と前置きした上で、「患者は気分が沈み、不安になったり、強いストレスを感じたりする。その苦しみを和らげ、それまでの生活を続けることが大事だ」と力説する。

誰でも認知症になる可能性がある=Adobe Stockより

誰でも認知症になる可能性がある=Adobe Stockより

 ◇誤ったイメージ

 一般的に、自分自身や家族が認知症になることを極度に恐れる傾向がある。それは誤ったイメージに基づいている、と繁田教授は指摘する。「認知症の進行が速い人はごく一部だ。ひとくくりにして、皆が一気に厳しい状況に陥ると恐れることは適切ではない」。誤ったイメージを変えようと、繁田教授は努力してきた。社会の認識を変えるためには、どうしたらよいのか。繁田教授の答えは明解だ。

 「認知症になっても普通に暮らしている人は多い。一人でも多く、そういう人たちと会って話を聞くことだ。そうすれば、大変な生活をしているが、認知症ではない自分たちと変わらないことが分かる。それを実感してほしい」

 ◇以前の生活を続けよう

 本人や家族は認知症を恐れ、心配する。特に家族は医師に「本人は何もしないし、いくら言ってもやろうとしない」などと訴える。確かに、一つの事をするのに苦労するし、それまでと同じ事をするのにも苦労する。しかし、日常生活や仕事の能力は低下しているが、能力がなくなったわけではない。本人は仕事を続けたいと思っているし、家族も続けさせてあげたいと考えている。仕事を続けることは、大きな励みだ。

 家族は本人と一緒に時間を過ごし、空間を共にする運命共同体と言える。だからこそ、日々の接し方が大切になる。周囲の人たちも、「一緒に仕事をしよう」「一緒に遊ぼう」と声を掛けることが患者の支えになる。繁田教授は「そうする事が救いになり、少しでも元気になってもらえる」と言い、できる限りそれまでの生活を続ける意義を強調する。

 ◇過保護と管理にならないで

 家族らに気を付けてほしい行動がある。過保護になり、世話を焼き過ぎる事だ。物を散らかしたり、食べ物をこぼしたりするために、家族がずっとそばにいる。これは、本人にとっては大変息苦しい。「認知症になる前はそんな事はなかっただろう。一種の〝管理〟に他ならない」と指摘した上で、本人と一定の距離を取るようにアドバイスする。

 認知症になった夫の銀行キャッシュカードを妻が取り上げる事は、よくあるかもしれない。しかし、夫の方は長年の趣味を取り上げられてしまい、生活がつまらなくなってしまう。繁田教授はそういう例を多く見てきた。患者にこう勧めたこともある。「それでも、まだ家に居たいですか。施設に入ったらどうでしょうか。もっと優しくしてくれますよ」

 ◇一人で受診が半数

 受診の形も変わってきた。以前は、受診をちゅうちょする本人を無理やり病院に連れて来るケースが多かった。繁田教授は「今は一人でやって来るケースが増えた。割合は半々くらいだろう」と分析する。後者では、現役で仕事をしている人がかなりの数に上る。

 一人で受診する人の場合、「自分は認知症ではないか」という疑いがきっかけになることが多い。繁田教授は早期発見という意味で、本人自身による気付きを重視する。受診するタイミングをどうするか。認知症だとしても続けられる事は何か。介護が必要になった場合はどうするか。早期発見によって、そういった事を考える準備期間を持てる。

繁田雅弘教授

繁田雅弘教授

 ◇脳トレに意味はない

 認知症の治療薬の開発や承認は大きなニュースになる。薬ではこの病気を根本的に治すことはできないが、進行を遅らせる効果がある。繁田教授は「治療する側としては、病気の進行を少しでも遅らせたい。症状の悪化に合わせて、服用量を増やすというのはおかしな話だ。吐き気下痢などの副作用に配慮しつつ、最初から目いっぱいの量を処方すべきだ」と話す。

 認知症を予防するために脳を鍛えるトレーニング(脳トレ)が有効だとする説がある。しかし、繁田教授は「ほとんど意味がない」と否定する。アルツハイマー型認知症の治療薬は人によって効き目が異なるが、きちんとした医学的データが存在する。一方、脳トレには医学的データがない、という理由からだ。

 ◇活発な本人たちの活動

 繁田教授によれば、最近の認知症をめぐる動向で重要なのは、本人たちの会やグループによる活動だ。発祥の地はスコットランドだが、日本でも盛んになった。時には首相と面会し、政策を提言することもある。背景には、「認知症の施策が本人たちの意見を聴くことなく決められてきた。もっと私たちの意見を聴いてほしい」という切実な思いがある。

 「認知症カフェ」などの集まりも各地で運営されている。会やカフェなどで出会った人と一緒に旅行したり、ボランティア活動をしたり、メンバーの相談に乗ったりする。それが絶望感に打ちのめされず、前向きに生きることにつながる。繁田教授は「とても大事な事だ」と話す。(了)

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