一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏

(第5回)
周囲に助けられた修行時代
保育園探しに奔走したことも

千葉県柏市の公園で娘たちとお花見。子育て真っただ中
 長女出産の後、対馬ルリ子氏は保育園探しに奔走した。「公立保育園には、区役所に何度通ってお願いしても入れてもらえませんでした。ようやく見つかったのが小規模な無認可保育園で、引っ越すまでの8カ月間、預かってもらいました」

 東大関連病院から大学病院勤務に戻った後は、さまざまな制約から子どもの送り迎えが難しくなった。悩んだ揚げ句、新聞の折り込み広告でベビーシッターを募集。「日中、私の面倒をみてくれる人を探しています。ぜひご連絡ください。(優しいおばさんがいいなあ)」と子どもの思いを伝える文面が奏功し、多数の応募者から選ぶことができた。

 世話をしてくれた女性には小中学生の子どもがいた。夫は少年野球の監督をしており、夫婦とも子どもの扱いには慣れていた。女性は対馬氏宅まで行って長女を預かり、自宅に連れて行き、末っ子のようにかわいがってくれた。

 対馬氏が大学病院の急患対応などで帰宅できなくなっても、女性は「うちに泊めておきますよ」と快く応じてくれた。家族ぐるみの付き合いは30年近くたった今でも続き、子どもたちは女性を「お母さん」と呼んで慕っているという。

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一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏