一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏

(第11回)
荒れた思春期も、同じ医師の道へ
親の苦悩、一貫校も途中離脱

 ◇「あなたのネタ、役立つよ」

 次女は別の高校を受験したが、内申点の低さが足を引っ張り、希望の学校には入れなかった。何とか合格した学校に入学したが、なじめずに1年で退学。最後は単位制の都立高校に編入した。

 服装に制限もなく、先生が褒めてくれる学校で反抗する理由がなくなった。引きこもりなど事情を抱えた生徒もいて、次女は相談に乗っているうちに、「私でも役に立てる」と思うようになったらしい。突然、医学部に進学すると言い出したのは、高校3年の5月だった。

 しかし次女は中学、高校でほとんど勉強してなかったため、英語はアルファベットもおぼつかない。物理も化学も勉強したことがない。最初に受けた大学入学模擬試験の偏差値は29だった。

 対馬氏が「そんな偏差値初めて見た」と言うと、次女は「月に10ずつ上げればいいじゃない」と答えたという。楽天的な遺伝子はしっかりと受け継がれたようだ。

 一方、対馬氏はクリニックの診療をめぐり、監督機関からいわれのない指導を受け、公私ともにストレスがたまり、劇症型嚢胞(のうほう)性乾癬(かんせん)で1カ月の入院生活を送った。「顔以外の全身の皮膚が次々に剥がれ、痛くて服も着られなくなりました。入院を契機に嫌なことは無理してやらず、やりたいことだけを絞ってやるようにしました」

 次女は2浪したものの、猛勉強の末に医学部に合格した。「唯一合格したのは、学費が日本一高い大学で焦りました。おまけに、大学4年で就職活動に悩んでいた長女まで『医学部に行く』と言い始めました。『妹が入れるなら私だって入れる』と」

 30歳の長女は現在医学部4年、28歳の次女は研修医として専門分野を決める段階になった。「『あなたのネタが患者さんの診療で役に立ってるよ』と次女に言うと、『役に立ったでしょ』とニヤッと喜ぶんですよ」と対馬氏は笑った。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏