一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督
(第1回)侍ジャパンを率いて
つらいバッシングの時期
「僕はホームランを400本、ヒットも2000本打って、あんなに華やかな引退セレモニーをしてもらい、野球人生にマイナスの要素など全くなかった。なぜこんな世界に足を踏み入れたのだろう、なぜわざわざこんな仕事を受けたのだろうって思う自分が、試合直後はちょっとだけいました。自分の心にうそをつくことはできません。ショックだったのです」
12月、小久保さんは周囲に行き先を告げず、一人、山口県の温泉旅館に出掛けた。現役時代から「内観法」などで自分を観察し、精神コントロールもしてきたが、この時は一人になって自分を見詰めたという。後に日本中に感動を与えた新生小久保ジャパンは、この時に生まれたのかもしれない。
プレミアは契約の途中の大会だ。そう思えるようになるまで頑張ろう。頑張ろうと思えるようになるまで頑張ろう―。「WBCに向けて切り替えられるまでの時間が必要だったのです。こういう時は一人がいいですね。とにかく人に会わないようにしました。実際には温泉で年賀状を書いたり、本を読んだりしていたのですが…」と、明かしてくれた。
気持ちを切り替えることができて帰宅した小久保さんは、韓国戦での敗戦の翌日に「小久保の失敗」と一面に見出しを付けたスポーツ新聞を取り寄せた。それを額装し、WBCが終わるまで書斎の壁に掛けた。「プレミアに負けた経験があったからこそ、WBCの結果が良くなった。なぜこんな仕事を引き受けたのだろうと思っていたが、切り替えて頑張ろう」と考え、WBCが終わるまで2年半、この額をながめ続けた。
「もしプレミアでの負けがなければ、しかも、あの負け方でないと、本番のWBCでは大失敗をしていたと思います。とにかく、本番に向けての準備に甘さがありました。このくらいでできるのか、というおごりもありました」と語る。過去の失敗を率直に振り返ることのできる人は、そう多くはない。
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(2018/07/24 10:32)