女性アスリート健康支援委員会 五輪の扉開いた心技体の成長

「女王」破る16歳の快挙が重圧に
無月経も経験、「減量には知識必要」―福見友子さん

 ◇運動量に体が追い付かず

 福見さんは、谷選手を破った高校時代に3カ月以上月経が来ない「無月経」が続いていたと明かす。

 12歳の時、谷(当時は田村)亮子選手(中央)と写真に収まる福見友子さん(左から3人目)
 「無月経になったのは、減量していたのに、運動によるエネルギー消費が多過ぎて、体が追い付いていなかったためだと思います。でも、その時、体調を崩したわけではなかった。それが怖いところで、無理はよくなかった。今になってそう思っています」

 体のエネルギー不足から無月経が長期間続くと、骨粗しょう症などのリスクを高める。摂食障害を伴う場合も珍しくない。その怖さを、十分理解していたわけではなかった。

 当時は体重調整の際、1カ月に2~3キロほど減量していた。「自宅から高校に通っていたので、母親に協力してもらい弁当を作って持参していました」。全日本の強化選手に選ばれて初めて、栄養学などの知識を本格的に学び、減量への考え方はかなり変わったという。

 指導者になった今は、「知識のないまま過酷な減量を続ける選手もいるが、目先の結果は良くても、その後の人生でいつかは、体や心を壊してしまう」と戒める。絶食や脱水などによる短期間の急速な減量は論外だ。「成長に伴った階級をしっかり選択して、息の長い競技人生を送った方が、最終的には幸せ」と、後進の選手たちに説く。

 ◇21歳で谷さんに再び勝つ

 高校卒業後、柔道の名門、筑波大に進んだ福見さんは、実家を出て自立した生活を始めた。自己管理の大切さを強く意識するようになったのは、この大学時代だ。

 「1年生のころは毎日練習していないと、精神的に不安定になって。日曜日にも、誰かほかの人が練習しているかと思い、走ったりしました。でも、それを続けていたら、いつかは駄目になる。休むこともトレーニングのうちだと学びました」

 筑波大4年で出場した全日本選抜体重別48キロ級決勝で、谷亮子選手(下)から出足払いで有効を奪う福見友子さん。優勢勝ちで2度目の勝利を収めた=2007年4月、福岡国際センター
 減量では、食事の量・内容とトレーニングの強度のバランスをどう取るかが課題になる。トレーニング期であれば、たんぱく質を少し多めに取り、甘いものは控えるそうだ。「でも、たまに甘いものを食べることがリフレッシュにつながるので、よくカフェには行きました。そうしたストレスコントロールが自分でできるようになったのは、大きかったですね」

 北京五輪を目指した福見さんが谷選手に再び勝ったのは、大学4年で迎えた07年4月の全日本選抜体重別選手権の決勝だ。相手はアテネ五輪で2大会連続の金メダルを取っていたが、福見さんも、がむしゃらに戦った高校2年の時とはもう違っていた。「きちんと自立して、この大会で勝つことを目標に練習していました。その決勝の相手がたまたま谷さんだった。谷さんと戦う準備もやってきたという自信はありました」

 だが、「柔の道は一日にして成らず」。五輪への扉は、容易には開かなかった。(了)


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