女性アスリート健康支援委員会 五輪の扉開いた心技体の成長

己と向き合い27歳で五輪へ
練習の質追求、心身コントロール―福見友子さん

 ロンドン五輪の柔道女子48キロ級に出場し、現在は指導者の道を歩む福見友子さん。現役時代、同じクラスの「女王」として君臨していた谷亮子選手を2度目に破ったのは、筑波大4年で迎えた2007年4月の全日本選抜体重別選手権の時だ。21歳での勝利には、初めて勝った16歳の時とは違う、自身の成長への手ごたえがあった。だが、その年の世界選手権の代表に選ばれたのは、谷選手だった。

 ロンドン五輪で準決勝進出を懸けて戦う福見友子さん=2012年7月(時事)
 「谷さんは常に世界の舞台で活躍し、体重別選手権は通過点でしかなかった。48キロ級は金メダルが取れる階級。選ぶ側が、海外での実績がなかった私を選ばなかったのは仕方がなかったかもしれません」と、福見さんはすがすがしく話す。

 もちろん、悔しい思いはあった。「あの時、自分としては最高の状態だった。その時に世界に挑戦できていたら、人生がまた少しずつ変わっていたとは思っています」

 北京五輪イヤーの08年が幕を開けると、福見さんはフランスで開かれた国際大会で「競技人生では最初で最後のけが」という右足骨折の大けがを負った。五輪の代表選考を兼ねた4月の全日本体重別選手権は1回戦で敗退。代表に選ばれたのは谷選手で、「ママでも金」を目指し、結果は銅メダルだった。

 ◇全てをささげた4年、「けがしたら終わり」

 北京五輪の年からロンドン五輪までの4年間について、福見さんは「五輪のために全てを費やした日々だった」と自らの文章で記している。

 インタビューでロンドン五輪までの4年間を振り返る福見友子さん
 09年には初めて世界選手権に出場し、見事に初優勝。だが、ライバルが福見さんの前に立ちはだかった。10年と11年の世界選手権では2年続けて、浅見八瑠奈選手に決勝で敗れ、ロンドン五輪の代表選考レースは、3歳年下の浅見選手に一歩も二歩も先んじられる形になった。

 互いに刺激し合え、尊敬できるライバルだった。一緒に練習する全日本の合宿は、猛稽古が続いた。

 「年齢も違うので、同じ練習量をこなしていたら、必ず私の方がつぶれてしまう。体が資本なので、けがをしたら終わり。練習の量より質を求めなくてはいけないと常に考え、自分自身にプレッシャーをかけていました」

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