女性アスリート健康支援委員会 女子マラソンの夜明けを駆け抜けて

月経が来なくなった高校時代
ロス五輪へ「期待の星」に―増田明美さん


 ◇初マラソンで日本最高記録

 初めてのフルマラソンを走ったのは、高校生活も間もなく終わる82年2月に開催された千葉県選手権だ。増田さんはいきなり、2時間36分34秒の日本最高記録で優勝した。翌3月の中日女子20キロロードレースでは、1位の米国選手に3秒遅れながら、1時間6分55秒という世界最高記録をたたき出した。

 川鉄千葉に入社後、高校時代からのライバル、樋口葉子さん(左)と(増田さん提供)
 2年後のロサンゼルス五輪ではオリンピック史上初めて、女子マラソンが正式種目として実施されることが決まっていた。一躍、「期待の星」となった増田さんは、滝田監督らと共に、地元の川崎製鉄千葉に入り、オリンピックを目指す。

 フルマラソンを走るため朝晩合計で40キロほど起伏のあるコースで練習するようになってからも、増田さんの食事への姿勢が大きく変わることはなかった。「走る量が増えればその分、栄養も多く取らないとエネルギー不足になるのに、5000メートル走の時と同じような意識で食生活を送っていて。1日の食事はおそらく2000キロカロリーもありませんでした。貧血でくらくらすることがあっても、造血剤を飲んでいるから大丈夫だと思っていました」

 ◇「SOS」サインも気にせず

 増田さんの体には貧血以外に、女性アスリートの健康にとっての「SOS」を示す明確なサインが、高校時代から現れていた。3カ月以上月経が止まる「無月経」だ。

 「中学2年の時、生理は来たのですが、高校に入って止まったり、また正常に戻ったり。はっきりと覚えていないけれど、完全に来なかった期間は2年くらいかな」

 「月経が止まっても気にすることなく、練習を続けていました」と話す増田明美さん
 無月経の状態が続くと、女性ホルモンのエストロゲンの分泌が抑えられ、骨の形成に影響が生じる恐れがある。「月経が止まったのは、骨が一番成長する十代の時期。でも私は無知で、周りの人も『大丈夫』と言ったので、全く気にすることなく練習を続けていました。無月経を問題視しないような風潮もあったんでしょうね」

 当時の体脂肪率は8%。順天堂大学で計測した最大酸素摂取量は体重1キロ当たり毎分72ミリリットルと、並外れて優れた数値を示していた。「グレテ・ワイツ選手(ノルウェー)やイングリッド・クリスチャンセン選手(同)といった世界のトップ並みで、『すごいぞ』と言われて。そんな数値が出たプライドもあって、太っちゃいけないと思っていました」

 増田さんは、結果的に「SOS」を放置していたことになる。2回目のフルマラソンとなる83年の大阪国際女子マラソンでは、食生活を改善しなかったつけを、身をもって知ることになった。(水口郁雄)


◇増田明美さんプロフィルなど

◇晴れの五輪「人生最大のショック」に 引きこもり、摂食障害も(女子マラソンの夜明けを駆け抜けて・中)



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