こちら診察室 アルコール依存症の真実

病魔の前の無力さ 第23回

 アイルランド系米国人の父親と日本人の母親を持つ加藤太一(仮名)さんは、高校時代からの飲酒習慣がたたり、27歳の頃から体が壊れ始めた。

酒をやめられるかどうかは意志の問題ではない

酒をやめられるかどうかは意志の問題ではない

 ◇入退院を繰り返す日々

 加藤さんは「体が壊れた」のをきっかけに、入退院を繰り返すようになった。酒断ちに成功するまでに6回入院した。ただ、入院の目的は前半3回と後半3回で異なっていた。

 加藤さんの言を借りれば、「最初の頃は体を治すため、後の方は心を治すため」の入院だ。別の表現をするなら、前半は飲める体に戻すため、後半は飲まないようにするための入院と言えるのかもしれない。

 前半の入院はともかく、「酒をやめよう」と決めてからも、3度も入院が必要だったのだ。

 ◇「酒をやめる作業」を始める

 アルコール依存症の人が酒をやめる決意をするのには、とても大きなきっかけが必要だ。加藤さんのきっかけは、父親に助けを求めに来た息子に対して、まともに話を聞くことさえできなかったことへの心痛だった。

 そんな自分が情けなく、「本当にやめよう」と決意した。だが、加藤さんが「酒をやめる作業」と言う酒断ちへの道は、それほど容易ではなかった。例えば、「やめよう」と深く決意した数分後には、息子へのざんきの念から酒に手を伸ばしてしまうという体たらくだった。

 その結果、泥酔し、寝ても覚めても飲み続ける連続飲酒発作に陥る。ただ、連続飲酒発作中でもつかの間ではあるが、しらふの時間が訪れることがある。加藤さんはその一瞬のしらふの中で心底情けなくなり、自殺を企てた。

 ◇酒断ちの難しさ

 気が付けば見慣れない部屋の中だった。今までの内科病院とは違う風景。精神科病院の病室だった。そのことを知った時、加藤さんは「ああ、自分は狂ってしまったのだ」と思った。そして、「酒をやめなければ、とんでもないことになる」と恐怖した。

 離脱症状も始まっていた。離脱症状はアルコール依存症の進行に連れてひどくなる。加藤さんは「離脱症状は本当に苦しく、それだけでも酒をやめようとする動機にはなりました」と振り返る。ところが、症状が治まると動機は薄くなる。

 やっと迎えた退院の日、「もう、絶対に飲みません。こりごりです」などと殊勝な態度で病院を去るが、その舌の根も乾かぬうちに酒を飲んでしまう。それがアルコール依存症なのだ。

 厳しい浮世にあって、「飲まない」という決心を揺るがす出来事は山のようにある。ましてや、心の苦しさを酒への逃避で紛らわしてきた人にとって、酒を飲まないでいることはとてつもなく難しい。

 ◇やめるための宣言

 精神科病院への2度目の入院。加藤さんの酒断ちの決意は、前回の入院よりも強かった。

 加藤さんは自分を追い込むことにした。離脱症状はさらにひどくなっていた。その中で、加藤さんは主治医に宣言した。

 「どんなに私が頼んでも、離脱症状を楽にする薬を出さないでほしい」

 離脱症状を軽減させるための薬物療法では、抗不安薬や睡眠薬が処方されるのが一般的だ。加藤さんは、それを拒否した。酒を飲むことの痛すぎる代償を体に刻み込ませようとしたのだ。つまり、「こんなにつらい思いをするくらいなら、もう二度と飲まない」ことを狙ったわけだ。

 まさに七転八倒の苦しみ。やっとのことで離脱症状が治まった時、加藤さんは医師に尋ねた。

「本当に酒をやめたいんです。どうすればよいでしょうか?」

 医師はあっさりと答えた。

「自助グループに通い続けることだね」

 実は、1回目の入院の際もケースワーカーに勧められて自助グループに通うことになっていた。しかし、一度も通うことなく酒に手を出してしまったのだ。

 「今度こそ通おう」と加藤さんは思った。

 ◇意志の力という誤解

 2度目の退院後、自助クループへ通うことが加藤さんの日課になった。1日、また1日と飲まない日を重ねていった。自助グループに通い始めてちょうど半年がたった頃の帰り道、以前に勤めていた会社の社長に会った。

 社長に誘われて飲み屋に入った。もちろん、飲むつもりはない。ノンアルコールビールを飲みながら、今までの経過を話した。

 「酒をやめようと思っても飲んでしまうのは、意志が弱いからなんかじゃないことが分かったんです」

 加藤さんがそう言った時、社長は「そんな、ばかなことがあるものか。意志と根性の問題だ」と反発した。そういう考え方こそ、アルコール依存症をめぐる大きな誤解であることを加藤さんは幾度となく聞かされていた。その事を繰り返し力説したが、社長は譲らない。そして、あらぬ提案をしてきた。

 「よし、俺が意志と根性の問題であることを証明してやろう。俺と一緒の時だけ飲め、それ以外は一切飲むな」

 飲み屋の中での提案であった。その提案を受け入れれば、すぐに酒が飲める。加藤さんは甘い誘惑に負けた。

 「飲んだらどうなるか、自分では分かるような気がします。前のような飲み方になったら責任は取ってくれますか?」

 「ああ、任せておけ」

 「じゃあ、飲みます」

 ◇久しぶりの酒

 加藤さんは久しぶりに酒を飲んだ。その後、社長と一緒の時だけという限定付きで1週間に1回ずつ飲んだ。抑えの利いた飲み方ができた。加藤さんは「もしかしたら、依存症が治ったのかもしれない」と淡い期待を抱いた。そんな飲み方が2カ月続いた。社長は「やれば、できるじゃないか。意志と根性があれば飲み過ぎることはないだろう」と胸を張った。

 「そう、やればできるんだ」

 酒に対して見せた隙を突いて、アルコール依存症の病魔が無力な加藤さんを再び支配した。

 その後については、次回で紹介したい。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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