こちら診察室 アルコール依存症の真実

「死体を見せてほしい」 第19回

 妻に「もう、一緒に住めない」と告げられた横沢さん(仮名)はアパートを借りた。「復職まで2週間以上ある。1週間飲んで、次の週に酒をやめれば手の震えは止まるだろう」と飲み始めた。

ミーティングでの気付きが気持ちを動かす

ミーティングでの気付きが気持ちを動かす

 ◇すぐに連続飲酒発作

 一人暮らしである。飲酒を止める者は誰もいない。すぐに連続飲酒発作に陥った。飲み出すと止まらなくなり、寝ても覚めても酒を飲み続けるのが連続飲酒発作だ。

 復職の予定日を越え、20日間飲み続けた。食事をしておらず、体力の限界を感じた。横沢さんは叔母に助けを求めた。駆けつけた叔母は何も言わずに、そのまま車に乗せた。

 着いたのは、依存症の専門病院だった。ギャンブルやアルコール以外の薬物依存症なども治療対象だが、アルコール依存症の患者が最も多い。閉鎖病棟に入れられ、1週間の激しい離脱症状にもん絶した後、開放病棟に移された。

 ◇震えた心

 「病院では怖い話を幾つも聞かされました」

 アルコール依存症は治らない病気であること、飲まない期間にも進行すること、退院した人の3分の1は数年で亡くなること、肝硬変、自殺死が多いこと、平均寿命は52歳であることなどを教えられた。

 「ああ、52歳までもうすぐだな」と横沢さんは震えた。もちろん離脱症状のぶり返しではない。心が震えたのだ。

 「心底怖くなり、本当に酒をやめようと思いました」と語る横沢さんは突拍子もない願い事をする。

 「『肝硬変で亡くなった人の死体を見せてほしい』と先生に頼みました。怖さを実感できれば酒をやめられると思ったからです」

 もちろん、その願いがかなえられるはずはない。そして、入院生活を続けるうちに、少しずつ恐怖心が薄れていった。

 ◇医師の忠告を聞かずに

 入院から2カ月もたつと、退屈でうずうずし始めた。テスト外泊に意気揚々と出掛ける入院仲間を横目で見ながら、帰る理由をあれこれ思案した。盆が近づいていた。横沢さんは「墓参りに行きたい」と主治医に申し出た。墓は東北のある県にある。

 「先生は『外泊はまだ早い』と、何度も止めてくれました。でも私は『父の七回忌であり、絶対に飲まないから』と嘆願し、墓参りに行きました」

 暑い日だった。喉の渇きを覚えてビールを飲んだ。当然1杯では終わらず、朝まで飲み続けた。だが、今度ばかりは連続飲酒発作にはならなかった。

 その頃の横沢さんにとっては、病院が唯一の居場所だった。アパートを引き払っていたからだ。午後にかけて酒を断ち、「もう臭いはしないだろう」と病院に戻ったものの、酒を飲んだことは直ちに見破られた。

 主治医は「約束を破ったので、ここには居られない」と目をつり上げた。「強制退院」させられればホームレスになってしまう。横沢さんは必死で頭を下げた。主治医は「それでは、こうしようか」と言った。

 ◇交換条件

 主治医は「いずれにせよ、いつまでも入院を続けるわけにはいかない。すぐに追い出さない代わりに中間施設に通いなさい」と交換条件を提示した。

 中間施設とは、アルコール依存症者の社会復帰を支援するための施設だ。アルコールを飲まない生活を手に入れるためのさまざまプログラムが組まれ、ミーティングやリハビリテーション、生活訓練、職業訓練のほか、自立生活を営むための各種相談を行っている。

 横沢さんは交換条件をのみ、病院から中間施設に通い始めた。

 ◇ミーティングでの気付き

 横沢さんの気持ちを最も動かしたのがミーティングだった。

 「自分と同じように、アルコール依存症に悩む仲間との出会いがありました。仲間が正直に話す苦しい体験談を聞きながら、今まで誰にも言えなかったことが少しずつ言えるようになりました」

 ミーティングを繰り返す中で、横沢さんは酒に対してあまりにも自分が無力であることを思い知らされた。

 ◇規則正しい生活の果てに

 病院からの中間施設へ通って2カ月後、横沢さんは退院した。退院は中間施設に通い続けることが条件だった。離婚までには至っていなかったが、実質は離婚状態だった。退院後の生活費は叔母が援助してくれた。安いアパートを借りて仕事を探しながら、中間施設通いを続けた。

 中間施設までは、片道2時間程度かかる。朝早く起きて夜飲まずに帰って、早く寝る。規則正しい生活を1カ月間続けた頃、横沢さんは「酒を飲まないでいられる自分」に気付いた。

 「妙な自信というか、そんな気分でした。その一方で、仕事探しはうまくいかず、叔母の援助に頼った生活から早く抜け出したいという焦燥感がありました」

 自信と焦燥感が交錯するえたいのしれない気分の中で、横沢さんはウイスキーのポケット瓶を買っていた。中間施設の帰り道だった。駅のトイレに駆け込み、半分飲んだ。半分飲んだら残りは捨てるつもりだった。それから先は記憶が飛んでいる。

 ◇死を思いとどまる

 気が付いたのは駅のプラットホームだった。椅子に座っていた横沢さんは、駅員に揺り起こされた。酔いが少しだけ覚めようとしていた。どれくらい飲んでいたのだろう。日付を確認すると、飲み始めてから何と4日たっていた。

 「その時、今までに味わったことのない絶望感に襲われました。このプラットホームを出たら、何をすればいいのか、何も浮かんで来なかったんです」

 横沢さんは「生きていてもしょうがない。このまま電車に乗って、山の方に行って死のうと思いました」と言う。しかし、その時なぜかミーティングの仲間たちの顔が浮かんだ。そして、やっとのことで中間施設にたどり着き「助けてください」と声を絞り出しました。

 それ以来、横沢さんは酒を飲んでいない。

 ◇「自分」を感じる

 横沢さんは今、しらふの日々をかみしめるように暮らしている。

  ミーティングに初めて参加した時に「自分を大切に」と聞かされ、「何を言っているのか、よく分からなかった」と横沢さんは振り返る。

 「他人の目を気にして酒を飲み続けてきました。例えば、口下手で笑われたくないとか、手の震えを見られたくないとか、他人からどう見られているのかが全てでした」

 酒を飲まない日を重ねるなかで、「自分というものが、少しずつ感じられるようになったような気がします」と語る。

 「喜んだり、悲しんだり、考えたり、悩んだりする自分が意識できるようになりました。それが飲まないことへの褒美なのかもしれません」(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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