こちら診察室 アルコール依存症の真実

飲酒で人身事故起こす 第18回

 「会社に行くためには、この酒を飲まなくてはならない。だから仕方がないんだ」

 朝まだき、団地内のごみの集積場に隠しておいたボトルから、「誰かに見られているんじゃないか」とビクビクしながらウイスキーを胃の中に流し込むことが日課になった横沢さん(仮名)は、こう思っていた。

医師から「一生飲んではならない」と申し渡された

 ◇自分なりの理屈

 横沢さんが会社に行くために酒を飲むのは「手の震え」を止めるためだった。酒が切れると手が震えて仕事にならない。だから酒を飲む。

 普通に考えれば、夜が明けきらないうちから飲む必要はないことが分かる。文字を書くなどの仕事をする少し前に酒を流し込めば、手の震えは止まるはずだ。しかし、そんな当たり前の考え方を横沢さんはしなかった。

 アルコール依存症の人たちは、酒を飲むことに何かしらの後ろめたさを感じているものだ。だから、飲むための理屈がいる。横沢さんは「会社に行って仕事をするために」を飲むための理屈にした。

 ◇アルコールてんかんで倒れる

 ごみの集積場の隠し酒を1年間続けた頃、会社からの帰宅中に倒れて救急搬送された。医師の見立ては「アルコールてんかん」だった。

 アルコールてんかんとは、「てんかん」に似たけいれん発作を起こす離脱症状(いわゆる禁断症状)の一つだ。意識が消失し、全身の筋肉が硬直する。短時間で回復するものの、舌をかんだり、転倒して打ち所が悪かったりした場合は、命に関わることもある。

 横沢さんは搬送先の病院にそのまま入院し、翌朝に目覚めた時にはベッドがきしむくらい全身が震えた。

 ◇幻覚

 全身の震えが治まると、今度は幻覚だ。「家が火事です」と消防に電話を入れたり、息子に対して「お前、テレパシーを送っているだろう」と夜中の2時に電話をかけたりもした。他にもさまざまな幻覚を訴え、1週間後に精神科病院に転院させられた。

 幻覚時のてん末は後日、家族から聞かされたものだ。幻覚の最中は、そのすべてが横沢さんにとっての「現実」だった。

 ◇隠さなくていい「安心感」

 転院した病院では幻覚は消えたものの、手の震えは残っていた。横沢さんはノートと鉛筆を購入し、文字を書く練習をした。最初は震えてまったく書けなかったが、徐々に書けるようになっていった。

 震える手で文字を書く練習を続けるうちに、横沢さんの心は穏やかさを取り戻していた。それは、家族にも会社にも手の震えを知られてしまった「安心感」からだった。

 「今までは手の震えを隠すために飲まざるを得なかった。これで、家族にも会社の同僚にも上司にも隠す必要はなくなった。もう、ビクビクしながら飲まなくていいんだ」

 横沢さんは今でもこの時のホッとした気持ちを思い出す。そんな穏やかな心を味わいながら、字を書く練習を続けたのだった。

 ◇正月に飲酒し事故

 精神科病院に転院して2カ月目、横沢さんの手の震えは止まった。「これなら、もうすぐ退院できる」と明るい希望に包まれた。そんな頃、正月外泊の許可が出た。横沢さんは病院の医師から「アルコール依存症であり、一生飲んではならない」と申し渡されていた。それを承知した上での退院許可だった。

 しかし、横沢さんは「ビール1缶なら大丈夫だろう」と自己判断を下した。当然ながら、1缶で終わるわけがない。正月2日、家族が止めるのを振り切り、車を運転して年始回りに出掛けた。その途中、人身事故を起こしてしまう。

 ◇逮捕、拘留

 歩行者相手の事故だった。飲酒運転であることがすぐに発覚し、事故現場で逮捕され拘留。起訴が決まり、2週間後に釈放された。

 ただし、釈放されても帰る家はなかった。家族は横沢さんの帰宅を拒み、精神科病院に舞い戻ることになった。

 横沢さんは震えた。この震えは離脱症状によるものではなく、怖さによる震えだった。実刑になるかもしれない。不安と恐怖とともに裁判を待った。

 ◇執行猶予付き判決

 懲役10カ月、執行猶予4年の判決だった。「収監されずに済んだ!」。祝杯をあげたい横沢さんだったが、入院中の身であり、さすがに自重した。

 でも、気分は良かった。飲酒運転で人身事故を起こしてしまったという罪の意識は急速に薄れ、浮かれた気分で退院を待った。

 ◇妻からの最後通告

 退院が間近になったある日、妻が面会に来た。妻は病院のソーシャルワーカーとの同席を求めた。他人行儀な態度だった。相談室で妻は「もう一緒に住めない」と告げた。続いて、ワーカーに向かって「このまま一生、この病院に入れておいてほしい」と言った。

 「それはできません」

 「それなら、どこかの病院に転院させてください」

 妻の頼みに、ワーカーは首を横に振った。「入院が必要な状態ではない」と言うのだ。今度は、横沢さんが妻に願い出た。

 「俺には勤めがある。仕事に戻れば生活を立て直すことができる。どうか、家に帰らせてほしい」

 妻は「会社から『もう来てほしくない』と連絡があった」と容赦なく言い放った。

 「そんなことはないはずだ。俺が自分で会社に行って確かめる。もし、復職がかなったら、もう一度一緒に住んでほしい」

 妻は何も答えなかった。

  ◇復職決まり祝杯

 翌日、横沢さんは会社に出向き、人事部長の前で「どうかもう1度だけ復職させてください」と土下座するように嘆願した。妻には言えなかった「もう、絶対に酒を飲みません」という誓いも付け加えた。

 人事部長は「そこまで言うのなら、来月から出社しなさい。新しいポストを用意しておくから」と言ってくれた。

 横沢さんは、復職して頑張っている姿を見たら妻も決心を変えるだろうと考え、ひとまずアパートを借りることにした。会社は名の通った大手企業だった。アパートの仲介会社にその名前を出すことで、すんなりと借りることができた。最小限の家財道具を準備し、横沢さんは退院した。

 翌月の復職まで2週間以上あった。1週間は飲んで、次の週に酒をやめれば手の震えは止まるだろう。とりあえず、きょうは飲もう。

 横沢さんは一人で祝杯をあげた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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