こちら診察室 アルコール依存症の真実

「飲まない」という難易度の高い選択 第22回

 加藤太一(仮名)さんは、アイルランド系アメリカ人の父親と日本人の母親を持つハーフだ。両親は離婚し、母親に連れられて日本に来た。田舎町で中学、高校と過ごした。高校時代に街のチンピラに大けがをさせて退校処分。上京後に結婚して子どももいる。ただし、多くのアルコール依存症の人がそうであるように、妻子とは別に暮らしている。

たとえ誰かに殴られても、刃物で手を刺しても、酒への欲求を断つことはできない

たとえ誰かに殴られても、刃物で手を刺しても、酒への欲求を断つことはできない

 ◇寂しさ半分、自由さ半分

 酒を飲むことに歯止めが利かなくなった人間の大きな問題は、関わる人に多大な迷惑を掛けることだ。一方で、依存症者本人は、それに気付いていても、おおむね意に介さない。森羅万象の出来事の中で、最も優先するのが酒を飲むことであるからだ。だから、関わる人の助言や意見は届かない。やがて関わる人は怒り、諦め、見放し、本人から遠ざかるようになる。

 かくして一人ぼっちとなるわけだが、本人にとっては他人から干渉されずに酒を飲むことができるわけで、寂しさ半分、自由さ半分の気分となる。

 ◇子どもの叫び

 ところが、家族は本人から簡単に遠ざかるわけにはいかない。夫婦の場合、結局は離婚に至ることが多いが、そこにたどり着くまでの道は紆余(うよ)曲折だ。

 加藤さんの場合、妻と5回別れ、5回よりを戻し、6回目の別居中だ。夫と妻は、それぞれの意思や感情による行動なので良いのかもしれないが、子どもの場合、特に養育期間中は自分の意思の発露は難しい。「もういいかげんにしてよ!」と叫びたくもなるだろう。しかし、叫んでみても、子どもが親に絶縁状をたたき付けることはなかなかできないものだ。

 ◇親の一分

 加藤さんの息子が父親に相談を請うたのは、依存症の症状がかなり深刻なときだった。ごみため部屋に住み、服は着たきりすずめ、おならをすれば下痢便が一緒に出る。風呂には数カ月入らず、酒ばかりを飲んでいた。

 当然ながら相談に乗ることはできない。まともに取り合ってくれない父親に寂しそうな背を向けて帰った息子の姿に、ほんのわずかに残った面目がうずいた。それは、親の一分なのだろうか。

 加藤さんは心底情けなくなり、死のうとした。だが死にきれなかった。収容された病院で離脱症状に体を震わせながら「酒はやめよう」と決意した。しかし、酒と決別することの難しさを誰よりも知っているのはアルコール依存症の本人にほかならない。

 ◇酒断ちの難しさ

 「強烈な睡魔に襲われたときに、どんなことをしても効果がないですよね。酒を飲みたい気持ちは、それに似ているかもしれません」と語り始めた加藤さんは「いやいやそんなものじゃなかった!」と当時の自分を思い出し、すぐに前言を否定する。

 「水をかぶったら、さすがに眠気は吹き飛びますかね。でも酒を飲みたい欲望は水をかぶったくらいじゃ治まりません。普通の人には分からないと思いますけど、頭を壁にぶっつけても、誰かに殴られても、刃物で手を刺しても駄目です。『絶対に酒を飲まない』と心に誓っても、誰かに命令されているように酒に手が伸びてしまうんです」

 ◇治らない病気

 酒断ちがどんなに困難であろうとも、アルコール依存症の治療の基本は「断酒」だ。

 近年、「節酒」も治療の選択肢として加わってはいるが、節酒治療の対象になるのはアルコール依存症の境界にいるか、軽度の患者である。加藤さんのように離脱症状が顕著で、アルコールに起因する臓器疾患があり、入退院を繰り返し、しかも、自殺願望があるなどの患者の場合は断酒を続けることが治療の唯一の選択肢だ。

 アルコール依存症の場合、治療のゴールは「治癒」(治ること)ではない。アルコール依存症という病気は治らない。治療の現場では「回復」という言葉を使うことがあるが、回復とは「断酒が継続できること」であり、「元のように節度を持って酒が飲めること」ではない。

 「飲んだら終わり」。アルコール依存症から回復し「普通の生活」を送ろうと思うならば、一滴も飲まない日々を重ねるしかないのだ。

 ◇たとえ四半世紀飲まなくても

 アルコール依存症から回復するために25年間断酒を続けている男性がいた。依存症と診断されたのは30歳。入退院を繰り返して35歳から酒を断った。それから25年間、一滴も酒を口にしなかった。60歳となり、男性は定年を迎えた。男性の過去を知っている会社の仲間や友人は「よく頑張りましたね」と称賛した。

 会社から自宅への最後の帰り道、男性は「本当によく頑張った」と自分自身をねぎらってやりたかった。酒の誘惑を回避するために決して通らなかった駅前商店街の横道の路地に、四半世紀(25年)ぶりに足を踏み入れた。前に通っていたあの飲み屋のなつかしい赤提灯がまだともっていた。

 入り口の引き戸を男性は開けた。久しぶりの酒。「1杯だけ」のつもりが、そのまま連続飲酒発作に突入し、男性は半月後、帰らぬ人となった。

 一度出来上がった「依存症の回路」は命ある限り消えることはない。だから、一滴も飲まない日を永遠に重ねるしか回復への道はない。

 ◇最後の入院

 加藤さんは、そんな困難な道に挑もうと決意した。入院は三度目だった。

 「一度目も、二度目も酒をやめようと思っていました。でも、できなかった。それほどまでに僕にとって飲まないことは難しいことだったのです。ただ、一度目と二度目の失敗があったから、三度目の入院が最後の入院になったのだと思っています」

 加藤さんは三度目の入院から一滴も酒を飲んでいない。加藤さんは、いかにして「しらふの生活」を獲得したのか。その難易度の高い選択の始末は次の機会に紹介することにする。(続く)


 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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