ダイバーシティ(多様性) 障害を持っても華やかに

自己紹介と読唇術~これまでの苦労について~ (ソニー出身、デフサポ代表取締役 牧野友香子)【第2回】

幼少期、難聴が分かる前

 ◇難聴がわかったのは2歳

 初めまして、株式会社デフサポ代表取締役の牧野友香子(まきのゆかこ)です。

 私自身は、生まれつき重度の難聴です。

 電気をつけているときは、何かしらアクションをするのに、消えた瞬間に何も声を出さなくなる・・・名前を呼んでも来ないし、おかしい・・・おかしい・・・!と思った母が訴えたことで、2歳で難聴が分かり、2歳半で補聴器を着け始めました。

 今も補聴器を着けていますが、補聴器を着けても人の声はほぼ聞こえません。

幼稚園年長、園生活にて

 ◇聞こえないのに、どうやって会話をしているの?

 そんな私はろう学校などには行かず、ずっと地域の学校で過ごしていました。

 そう、不思議に思いますよね。

 そんなに聞こえないのに、どうやって地域の学校に進んで授業を理解しているのか?友人と会話をしているのか?

 私は、相手の口の動きを見て、話を理解しています。読唇は訓練したのですか?と聞かれるのですが、訓練はしていないんです。生まれつき聞こえなかったためか、必要性に駆られていつの間にか習得していました。

幼稚園年長、母親が指差しながら言葉を教えてくれていた頃

 ◇ゆっくり、はっきり話せばいいというのは間違い!

 そうそう、誤解されやすいのですが、私の場合は「ゆっくり、はっきり話をされる」とリズムや口の形が変わってしまうので、普通のスピードで普通の口の大きさで話してもらえるほうが、読唇しやすいんです。

 皆さん、「にんじん」ってゆっくり、はっきり言ってみてください。口を閉じますよね?

 でもふつうのスピードで「にんじん」と言ってみてください。口を閉じないはずです。

 こんなふうに形が変わってしまうので、かえって読みにくくなってしまいます。

 面白いですよね。同じ言葉でもこんなに口の動きが違うって、意外と皆さん知らないのではないでしょうか。

 ちなみに、読唇を極めた私は、口の形が全部見えなくても、顔を横にした状態でも何を言っているのかが分かります!最近は特技に「読唇術」って書くくらいです。

 半面、発音は結構苦労して、一つ一つの音を覚えました。音が聞こえないので、正解が分からないんですね。なので、何度もそれっぽい音を出し、”近い!”と言われたら、その舌や息の出し方を何度も何度も繰り返し、徐々に正解に近づけていった感じです。

 そうやって今では無意識に話すことができるようになりました。とは言え、やはり聞こえないため、フィードバックができないので、すぐに音が崩れてしまうことと、イントネーションや音の強弱は、いまだに苦手な部分でもあります。

小学校中学年、我が家にみんなが遊びにきた時

 ◇配慮があるかどうかは環境と運

 そうやって読唇と発音を習得しながら、幼稚園から中学校まで地域で過ごしてきた私は、中学校3年時に初めて耳が聞こえないことで進学を断られる出来事がありました。

 受験勉強の時期、併願校の私立をいくつか探していたところ、聞こえない子は前例がないと一部の高校からは遠回しに断られました。当時15歳の私にとって、かなりショックな出来事でした。

 耳が聞こえないと選択肢が少なくなってしまうんだな・・・と人生で初めて感じたきっかけです。

 しかし、それ以上に、一緒に難聴の説明に行ってくれた中学校の先生たちが、「聞こえないから無理と言うけれど、この子は勉強も出来るし友達もたくさんいるし、聞こえないだけで受けられないの?それは学校としておかしい!」と帰りの車内で私以上に怒っていたのを見て、励まされました。

 その後、校長先生や学年主任の先生に呼び出しを受け、「差別してくる高校なんか行かなくていい!頑張って本命の高校に行け!」と盛大にハッパをかけられた私は、無事に本命の大阪府立天王寺高校へ。

 高校に合格直後「耳が聞こえない子を受け入れるのは本校では初めてです。基本的に一切配慮はできませんが、それでもよかったら」と入学を認めてもらいましたが、今思えば本当にほぼ全くと言っていいくらい配慮はありませんでした。

高校2年、テニスの試合相手と仲良くなった時

 せいぜい気の利く先生が口元を見せてくれるようにしているくらい。

 「ノートテイク」や「パソコンテイク」(※パソコンや紙を使用して聴覚障害者に筆記通訳をするもの)はもちろんありません。少しでも授業についていきたい!という思いから「テストに出るぞ〜」というところに星を付けてほしい、すぐ消してもいいので!とお願いしたり、ページ番号を黒板に書いてほしいといったような小さいことをいろいろお願いしたりしたのですが、時代背景もあったのか、お願いした内容をやってもらえたことは、ほぼありませんでした。

 そのくらい、「配慮をしよう」という空気が無くて、あまりの授業の分からなさに、もういい!テストも白紙で出すし!と(実際に白紙で出したこともあります。)やさぐれ過ぎて留年になりそうだった私を助けてくれたのはクラスメートたちでした。「いまここやで〜」とこっそりページを見せてくれたり、ノートを「あの先生ぼっそぼそしゃべるから、ユカコ言うてること分からんかったやろ?まとめたから見てみ!」と貸してくれたりしたおかげで、無事に卒業できました。

 逆に友達にお願いするポイントや、聞こえなくて分からない部分を伝えるのは、この逆境で鍛えられたので、今でもできないことをお願いするのは得意かもしれません。

大学4年生、アメリカ旅行

 ◇とにかく遊びまくった大学時代

 その後、心理学を勉強したかった私は、無事に神戸大学に進学をし、発達科学部という学部で行動心理学を中心に勉強しました。顔をしっかり見て話す私にとって、人の心理に自然と敏感に気付いたりすることが多く、うそをつくタイプだなとか、こういう人は余裕がなくなると冷たくなるんだよなあ〜といったことがすぐに分かるんですね。心理学を勉強したいと思うきっかけが、そこにありました。なんでそう思うのか?そもそも人の心理はどうなっているのか?と、とても奥が深いので、勉強していて、とても興味深かったです。個人的に、進路が決まらない…という人にはお薦めしたいくらいです。(就活の保証はできませんが…)

大学4年生、ウェイクボード※このために船舶免許も取りました!

 そして、入学最初の挫折が第2外国語。漢字だから楽そう!と中国語を取ってしまった私は、「口の形はおなじ ma なのにピンイン(拼音)があるなんて聞いていない〜!」全然言ってることが分からない…となり、初めて取った授業でさっそく単位を落としてしまいました。

 そこから慌ててパソコンテイクだけでも…とお願いしようとしたのですが、中国人の先生が話す内容が分かるテイカ−さんはいません!と言われ、仕方がないので、発音やヒアリングを無くして、筆記の点数で換算してほしいという風に、先生といろいろ交渉して、無事に単位を取ることができました。

大学2年生、野沢温泉スキー場に山ごもりをしているとき一番左が私です

 今だから言える教訓、中国語と読唇術は相性が悪いです!そりゃそうですよね。

 そんなふうに勉強では挫折しながらも、プライベートは充実していて、スノーボードで山ごもりをして数カ月雪山で暮らしたり、バックパックを背負って海外を放浪しまくったりと、破天荒に自由に遊びまくった私でした。大学時代が人生で一番と言っていいくらい遊び尽くした4年間だったと思います。

大学2年生、NYのタイムズスクエア前にて

 大学時代にトコトン遊びまくったことで、初対面の人に会ってすぐ、障害について説明をするのがうまくなりました。そして聞こえなくて困る場面が起きたときに、どうにかして助けを得る、的確に今の状況を説明するのも必然的に得意になってきました。本当に、こうやっていろんな経験をしてきたこと一つ一つに無駄なことなんてなかったなあ、と30代になった今思います。(了)


 ▼牧野友香子(まきのゆかこ)さん略歴

 株式会社デフサポ 代表取締役

 生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。

 幼少期にすごく良いことばの先生に出会えたことでことばを獲得し、幼稚園から中学まで一般校に通い、聴者とともに育つ。

 大阪府立天王寺高等学校から神戸大学に進学し、一般採用でソニー株式会社に入社。

 人事で7年間勤務。主に労務を担当し、並行してダイバーシティの新卒採用にも携わる。

 第1子が50万人に1人の難病かつ障害児だったことをきっかけに、療育や将来の選択肢の少なさを改めて実感し、2017年にデフサポを立ち上げ、2018年3月にソニーを退職し、聴覚障害児の支援に専念。デフサポでは聴覚障害児の親への情報提供、ことばの教育、就労支援を中心に実施。

 2020年より多くの人に難聴に興味を持ってもらいたい!とYouTubeでデフサポちゃんねるをスタートする。

 デフサポちゃんねる

 デフサポHP

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