医学トップの視座

多様な人材で国際化に対応―大阪市立大学医学部
「智・仁・勇」で一貫した教育

 ◇留学中に海外との太い人脈

 大畑医学部長は島根県出身。医学部に入学するまで医師になるという強い意志はなかったという。都内の文系大学と大阪市立大学医学部を受験し、両方に合格。一時は政治家を志して、東京の大学の授業料も支払い、下宿も借りた。

 しかし、「いざ、東京に行ってみると、人の多さに圧倒されて。医学部には同級生の友達もいたので、やはりこちらに入学することにしました」。

 医学部時代は、医学部の野球部と大阪市大の少林寺拳法部の二つを掛け持ちした。医学部以外の学生との交流は、その後の人生に大いに役に立っているという。「大企業の社長になった人もいて、いまだに毎月のように飲み会をするのですが、資産保有を必要最小限にした企業の作り方など、医学部長としての仕事の非常に参考になっています」

 ベン・ケーシーという医療ドラマへの憧れから専門領域を脳神経外科に決めた。それが、学生生活を謳歌(おうか)してきた大畑氏の転機になった。

 「こんなにすごいところが世の中にあるのかというくらい感動しました。人の体にメスを入れて、治った患者さんが帰っていく。そこからは勉強が楽しくて楽しくて、どうしても手術ができる医者になりたいと思いました」

 大学院に進学し、学位を取得してアメリカの大学で2年間、研究に没頭。その後、頭蓋底手術の勉強のため、ドイツの耳鼻咽喉科で1年間、合計3年間の海外留学生活を送った。

 「このときに一緒に働いていた同僚たちと太い人脈ができたことが現在に至るまで非常に役立っています。みんな欧米の一流の教授になっているので、日本から学生を送るときにも協力してもらえます」

 2003年に行われた世界初の成人した頭部結合双生児の分離手術に際し、世界選抜チームの一員に選ばれたのも、こうしたネットワークから信頼を得ていたからだという。

インタビューに応える大畑建治医学部長

 ◇多様なコミュニティーに参加を

 これからの医学部に必要なのは「ダイバーシティ(多様性)への対応」だと大畑医学部長は話す。日本国内ではインバウンド化が進み、さまざまな宗教や文化を背景に持った患者さんを診る機会が格段に増えてくる。医学部でも、へき地医療に取り組む医師、海外で活躍する医師を目指す学生など、多様な人材が交じり合うことが重要なのだという。

 「医学部に入ることが人生の目的になってしまっている学生も少なくないが、勉強ばかりではダメ。学生時代から部活動やボランティアなどを通していろんなコミュニティーに参加し、幅広い人間関係を築いていくことが大切。多様性を認められる医師に育ってほしい」と学生たちに期待する。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

【大阪市立大学医学部 沿革】
1944年 大阪市立医学専門学校として設立
  48年 旧制大阪市立医科大学開設
  51年 付属利根山結核研究所設置
  52年 新制大阪市立医科大学開設
  53年 学舎を西扇町より阿倍野に移転
  55年 大阪市立大学に編入(同医学部)
  58年 大学院医学研究科設置
  84年 放射性同位元素施設、図書館棟完成
  89年 動物実験施設竣工
  93年 現付属病院完成
  95年 医学情報センター開設
  97年 医療研修センター開設
  98年 老年医学研究部門設置
      現医学部学舎完成
2000年 大学院医学研究科博士課程再編
  02年 大学院医学研究科医科学専攻(修士課程)設置
  06年 公立大学法人 大阪市立大学へ移行
  19年 公立大学法人大阪 大阪市立大学へ移行

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