特集

日本における不妊症患者支援政策小史(上)
不妊治療助成の経緯と保険適用に向けた検討状況 厚生労働省子ども家庭局母子保健課長 小林 秀幸


4.ARTの治療成績や情報開示

 (1)日本のART治療成績は低いのか?

 日本のARTの治療件数は人口当たりでは世界最多であるが、諸外国と比べると治療成績(妊娠に至る割合、最終的に出生に至る割合)は低いのではないかという批判がしばしば寄せられる。確かに、新鮮胚移植の数値だけを見ると、芳しくないような印象を受けるが、以下の通り総合的に判断すると、日本のARTの治療水準は決して低いものではなく、むしろ高い技術水準にあると考えられる。

 ARTには、体外で受精させた受精卵(胚)を凍結することなく、そのまま女性の子宮に戻す「新鮮胚移植」と、胚を一旦凍結させ、解凍後の胚を移植する「凍結胚移植」とがある。日本で実用化されたガラス化法と呼ばれる凍結技術を用いると、凍結・解凍を行っても、胚の性状は劣化しない。また、凍結胚移植は、ホルモンバランスを調整し着床しやすい状態にしてから胚を移植するので、妊娠成立しやすいとされている。従って、新鮮胚移植よりも凍結胚移植のほうが総じて治療成績は良好である。

 このため、わが国では凍結胚移植が主流であり、凍結胚による治療が適さない患者などに限定的に新鮮胚移植が行われている。従って、わが国で新鮮胚移植のみの治療成績は低いが、新鮮胚と凍結胚の合計で比較すると世界平均と遜色ない水準にある。

 また、年齢要因の考慮も必要である。ARTの治療成績は、女性の年齢が30代半ば以降、加齢とともに低下する。このため、40歳以降の女性にはARTを勧めない、または保険や助成の対象としない国が多い。翻って日本では、40歳以上の女性にも積極的にARTが実施されており、40歳以上の不妊治療の患者割合が世界で最も高い状況にある(表4)。ちなみに、40歳未満の患者における凍結胚移植に限ると、日本は米国に次いで世界第2位の治療成績である(表5)。

 国や医療機関によっては、治療成績を上げるため排卵誘発剤を多量に投与して採取する卵子の数を増やしたり、一度に多数の胚を移植したりするような治療が行われている。しかしながら、排卵誘発剤を多量に使用すると卵巣過剰刺激症候群などの合併症の割合が高くなるし、一度に多数の胚を移植すると多胎妊娠のリスクが高くなる。多胎妊娠は、妊婦の身体的負荷が大きい上に、新生児が低体重で出生してNICU(新生児集中治療室)を占有し、地域の周産期医療を圧迫することとなる。このため、日本の医療機関では、排卵誘発剤の使用量の軽減に努めるとともに、日本産科婦人科学会の会告を踏まえ、一度に移植する胚の数は抑制されている。このような条件の下でも、総じて高い治療成績が得られていることは、日本ARTの技術水準の高さを物語っている。

 (2)年齢と妊娠しやすさの関係

 個人差はあるが、30代以降、加齢とともに卵子の性状が悪化するのは普遍的事実である。このため、「子どもを望むならば、30代半ば以前の妊娠が生物学的に好ましく、その後妊娠率は激減し、40代半ば以降に治療を続けても成功率は極めて低い」旨を国民に啓発したり、ARTの助成等で年齢制限を設けることは、若い時に妊活しておくべきだったと後悔して苦しむ者を減らす、当事者目線の温情主義的で合理的な政策と言えよう。

 しかしながら、年齢と妊娠しやすさに関する科学的知見を行政が周知しようとすると、リプロダクティブ・ライツの侵害であると批判を招くことがある。ARTの助成制度で年齢制限を設けることは、対象外となる患者の権利侵害であり、温情に欠けると反発されやすい。

 不妊治療の施策に限らないが、保健医療行政の実務において、リバタリアニズムとパターナリズムの二項対立は頭の痛い難題である。

 (3)治療成績等の情報開示の考え方

 不妊に悩む方々への支援の観点からは、当事者の視点に立って、ニーズに応じた治療につながるよう、医療機関に関する情報の開示を含め適切な情報提供を行うことが重要である。前述の01年検討会報告書においては、次のような記載がある。

 「医療機関のホームページ上の情報公開のあり方については、『医療機関ホームページガイドライン』に沿って、自主的な取組が行われることが望ましい」「一方で、治療成績等、医学的知識や統計学知識がなければ正確な理解が難しい情報もあることから、そうしたものについては、積極的に公表することも必要であるが、まずは関係学会等での取組を注視し慎重に検討すべきと考えられる」

 報告書のこのような見解を踏まえ、これまで厚労省として特段の情報公開の取り組みは行っていなかったが、患者当事者からの強い要望もあり、21年の助成拡大の際の要領改定に合わせ情報公開を進めることとした。具体的には、指定医療機関に対し、治療内容等の情報を都道府県等に対し提出することを義務付け、都道府県等において、各医療機関から提出された情報をホームページ上で一覧的に公表することとした。

 公表項目として、医療従事者の配置人数、治療の内容、年間実施件数、標準的な費用、安全管理の状況等のデータについては必須記載事項としてすべての指定医療機関に提出を求め、一方、年間の治療実績や年齢階層別の患者数は任意記載事項としている。

 患者当事者などからは、各医療機関の治療実績についても開示を義務づけるべきとの意見が出されている。しかし、患者個々に医学的背景は多様であり、治療実績の比較・評価に資する明確な指標の設定が困難であることや、治療実績の公表を義務化した場合、医療機関では見かけ上の治療成績を引き上げるために治療の難しい患者の受け入れを回避することが懸念され、そうすると難治性の患者が治療の機会を失うなど不利益を被るおそれもあるので慎重な対応が求められる。

 このような点も考慮しつつ、適切な情報公開の在り方について、引き続き検討が必要である。(時事通信社「厚生福祉」2021年7月9日号より転載)

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