Dr.純子のメディカルサロン

悪性リンパ腫「ステージ4」でもツアー決行
ジャズドラマー・大隅寿男さん

 大隅寿男さんは、その世界では知らない人はいないジャズドラマーの第一人者です。私は大隅さんのドラムを聴くたび、本当に元気をもらえるのですが、大隅さんは2002年、悪性リンパ腫と診断されました。パワフルな演奏をする大隅さんにサバイバーのイメージは全くなく、私は07年に初めてお会いするまでその事実を知りませんでした。

 私は08年から米ハーバード大客員研究員としてボストンに行きましたが、当時、同地の米バークリー音楽大に留学中だったご子息の卓也さんとも交流を深めました。そのようなご縁もあり、今回は大隅寿男さんのレジリエンスについて、ご本人と卓也さんのお二人にお話を伺いました。


 海原 大隅さんが悪性リンパ腫ステージ4と診断された時、余命数カ月と診断されたそうですね。当時、どのような心境だったのでしょうか。つらい時期だったと思いますが、それをどう乗り切られたのですか。

 寿男 02年5月に悪性のB細胞性非ホジキンリンパ腫と診断されました。「余命半年くらい」と言われて即入院。1年ほど無菌室で治療。「仕事は無理かも」とも言われました。周りの意見もあり、国立がんセンター(当時)でセカンドオピニオンを受けることになりました。

 検査の結果、病名は同じでしたが、治療法は180度違いました。入院は不要。「2~3年は大丈夫だから慌てないで」「治療開始は半年後くらい」とのアドバイスを受けました。その間、病気のこと、治療法のことを教えてもらい、自己診断しないこと、医師の意見に従うことなどの指導を受けました。

 その半年間が一番つらい時期でした。いつか病気が爆発するのではないかと考えたり、将来どうなるのかと不安になったり。そんな焦燥感を乗り切れたのは、仕事だったと思います。演奏ができたこと、レコード会社が続けてCDを発売してくださったことは支えになりました。

 医者からの「大丈夫だよ!」との言葉にも助けられました。お客さまの声援にも勇気をいただきました。多くのミュージシャン仲間、ライブハウスの方、ファンの皆さまに感謝申し上げます。


 海原 卓也さんは当時おいくつでしたか。ご心配だったでしょう。

 卓也 僕は20代前半でした。まだまだ将来の方向性もしっかりとは決められていなかった。父の病気を聞いても実感はあまりなかったです。「がん」と聞いて恐ろしかったですが、父は乗り越えてくれると100%信じていました。

 海原 寿男さんはセカンドオピニオンを受けることを勧めていらっしゃいますが、セカンドオピニオンのメリットをお教えください。

 寿男 私はセカンドオピニオンを聞いて良かったと確信しています。私の場合、両方の病院とも病名は同じでしたが、治療法が全く違った。しかし、最初に病気を見つけていただいた病院にも感謝しています。複数の医師の意見を聞くこと、これは大切だと思います。


 海原 全く入院せず、外来で悪性リンパ腫の化学療法を受けたそうですが、つらくなかったですか。入院すると「病人」という感じになってしまうものですが、外来治療だと病気が生活のすべてではなくなりますよね。

 寿男 通院でリツキサン&チョップ療法を受けました。1日5時間かけて薬の点滴を受け、2週間空けてまた点滴。それを6回、合計半年間の治療でした。3回目の点滴あたりから、全身の毛が抜け落ち、バンダナや帽子などをかぶっていました。

 ただ、入院していないし、演奏も続けていたので、あまり病人という感じはしていませんでした。治療を受け始めてからは気持ちが落ち着いていました。海原先生のおっしゃる通り、外来治療だと病気が生活のすべてではなくなります。


 海原 主治医との関わり方が良かったそうですが、どんな方でしたか。

 寿男 主治医の先生は科学者(?)みたいな方で、口数が少なく、必要なこと以外はお話しされない方でした。

 例えば、治療が始まる時、主治医とは、病気に関するすべてのことは「本人にしかお話しません」と約束しました。そうとは知らない妻が心配のあまり、主治医に電話して私の症状などを聞こうとしたら、先生は「本人との約束があるので奥さまにはご説明しません。緊急を要する患者さんが多くいるし、病気のことは本人と話をしているから、電話をしてこないように!」と半ば怒られ、妻が泣いていたのを思い出します(笑)。

撮影:渡部麻里子氏

 海原 治療中も演奏を続け、ツアーで各地を旅していたんですよね。体がきついこともあったと思いますが、副作用にはどう対処していたのですか。

 寿男 治療中は吐き気に襲われ、精神的につらいこともありましたが、医師や病院を信頼していましたし、演奏している時は忘れることができたので乗り切れました。ツアー中は、他のミュージシャンやファンの方々から励まされ、ありがたかったです。

 副作用は、先生から当たり前のことのように聞かされていたので、仕方がないかなと思っていました。「風邪を引かないように。他の薬を一切飲まないこと」「しっかり食べて、水分をとって頑張れ!」と言われていました。


 海原 治療を終えて、不安が生じることはありませんか。

 寿男 不安はいつもあります。主治医に「がん細胞が消滅しましたよ」と言われ、これからどのように予防し、生活していけばいいかを聞いたら、「予防法はございません。普通に生活されて、またなったら、なった時に考えればいいです」と言われて、何となく安心したことを思い出します。自分でも納得しています。国立がんセンターと医師には心から感謝しています。


 海原 息子の卓也さんに伺います。ご家庭ではどんなお父さんですか。大隅さんは娘さんたちともとても仲良しでご家族が結束なさっている感じがしますが、どのようにお感じになりますか。

 卓也 とにかくポジティブですね。いい加減な部分もありますが(笑)。仕事も遊び(ゴルフ)も一緒にやりますが、家でも変わらず明るいリーダーです。父親と言うよりは仲の良い先輩という感じでしょうか。姉や妹の家族ともフレンドリーな関係で、やはりそこでも明るい先輩ですよ(笑)。

(文 海原純子)

〔インタビュー後記・海原純子〕

 大隅さんの長女の夫は作家の東野圭吾さんと伺いびっくりしました。先日行われた東野さん原作の映画の公開イベントにも大隅さんは一家で来られ、家族のつながりの強さを感じました。寿男さん、卓也さん親子は一緒にステージで演奏なさることも多く、その姿はすてきです。そしてステージ4のリンパ腫を経験した方がパワフルにドラムを演奏しているということは、多くの人に勇気を与えてくれると思います。仕事をしながら治療をする、そして病気であることをあえて隠さない。それが大隅さんの強さだと感じました。大隅さんは70歳を超えていらっしゃいますがダンディーで、若い女性の追っかけファンもいて、いつも客席は満員。そのパワーに感服しています。


大隅寿男(おおすみ・としお)

福井県出身、明治大政治経済卒。大学時代にジャズドラムを始め、1969年からプロドラマーとして活躍。78年「大隅寿男トリオ」を結成。リーダーとして国内外のアーティストと共演。2005年スイングジャーナル誌が主催する日本ジャズ界に最も貢献した人物に贈られる「第30回南里文雄賞」を受賞。09年には音楽生活40周年記念盤として「Walk Don’t Run」 を発表。近年は長男卓也氏ともしばしば共演。


大隅寿男氏(右端)と卓也氏(右から2人目)、中央は海原純子氏

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