一流に学ぶ 減量手術のパイオニア―笠間和典医師

(第4回)
ブラジルとの縁が引き寄せた
減量外科手術への道

 肥満を手術で治すなんて―と今でも多くの人は思うだろう。減量手術のエキスパートである笠間和典氏も、当初は同じ思いを抱いていた。

 笠間氏が減量手術の存在を知ったのは、医師になって8年目の1997年、米ハワイでのことだった。勤務先だった亀田総合病院(千葉県鴨川市)は早くから米国式のトレーニングを採り入れており、神奈川県横須賀市の米海軍病院でACLS(高度な救命措置)の講義を受けに行く機会があった。その後、笠間氏はこの病院でACLSのインストラクターの資格を取得。さらに経験を積むため、亀田総合病院と提携していたハワイのクイーンズメディカルセンターに約1カ月間、勉強に行くことになった。

 「僕の外科の指導教官が、開腹で減量手術を受けたという先生を紹介してくれて、『何だ、それは』と思って図書館で調べたんです。肥満を手術で治すなんて、アメリカ人は変わったことをやるな、と思っただけで、後に日本で行われるようになるとも、まさか自分がやるとも、思ってもみませんでした」

 減量手術のことは頭の片隅に置いたまま、亀田総合病院では胃がん大腸がんをはじめとした、ありとあらゆる手術に明け暮れる日々を過ごした。

 ある日、恩師の加納宣康氏から「もう1人で手術は何でもできるようになっているから、自分が責任者になってやれるようにした方がいい」と、加納氏の友人が院長を務める堀江病院(群馬県太田市)を紹介された。「ちょうど長男が小学校に入る時期で、鴨川から出たいと妻も希望していましたし、行くことにしました」

米ハワイの病院の手術室で。右が笠間和典氏

 救急では高度救命措置のできるACLSのインストラクター、救急専門医、麻酔科指導医の資格も持ち、あらゆる外科手術に対応できる笠間氏は、この病院で責任ある立場を任された。

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