一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第3回)病弱な父見て医師志す =勉強のスイッチは入らず

 しかし、この状況を踏まえ猛勉強したかというとすぐにスイッチは入らなかった。それでも弘前大学を受験した。「冬に毎日スキーができると思ったから」と天野氏。受け取った合否電報は「ツガルノユキフカシ(不合格)」で、現役での医学部受験は結局失敗に終わる。


 「浪人が決まった周囲の生徒は、東京・お茶の水にある駿台予備校に行くための試験勉強をしていましたが、僕は何もしないまま予備校の試験を受けて、ここでも不合格になりました。予備校も落ちたのが、すごくショックでしたね」

 天野氏は他の予備校に通ったが、それでも真剣に勉強しなかった。「最初の試験が30番ぐらいで、なんだチョロいじゃないかと思って。この予備校でも100人ぐらいは東大に合格しますから、まあ東大(に受かる)かなと」。マージャンの腕を仲間と磨いているうちに成績はさらに悪化。「模擬試験の合格可能性がB判定、C判定、最後はE判定まで落ちました」

 この頃、医学部のない県に医科大学を設置する政府主導の「1県1医大構想」が徐々に実現化し、国立の医学部や医科大学が増加。この前後に新設された私立校などは比較的合格しやすかったためか、獨協医科大学や北里大学などの1次試験には合格した。ところが面接に行くと落とされてしまう。

 「今とは違って、当時は親が開業医など資金的バックアップのしっかりした子弟を優先して取るわけです。いくら親戚に医師がいたとはいえ、僕の家は中流家庭でしたから。でも、1次試験に合格したのだから、次はどこかに引っかかるだろうという甘い考えをもって2浪目に突入した次第です」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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