一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏
(第3回)病弱な父見て医師志す =勉強のスイッチは入らず
高校時代の天野篤氏は勉強になかなか身が入らなかったが、医学部に進む気持ちは固まっていた。理由は二つあり、一つは親戚の医師の影響、もう一つは父親の病気だった。
父方の伯父が小児科医で、天野氏は子どもの頃、よくおなかを壊して母親に連れられ、診察を受けに行った。
「病名は大腸カタル(急性腸炎)。今でいう過敏性腸症候群(用語1)だと思いますが、季節の変わり目に、緊張するとすぐに下痢していました。処方薬を飲むと、すぐに症状が治まってしまうので、医者ってすごいな、と子どもながらに尊敬し、医師という職業を身近に感じていました」
さらに小学校高学年の頃から父親が病弱であったことも、医師を志す動機になった。
「父親は体が弱くて、子どもの頃から一家の大黒柱がどうなってしまうのかという危機意識みたいなものが家族全員にありました。一族の中に医者がいれば、天野家の健康問題は解決するという思いが親戚の間にあって、将来的に最も可能性があったのが僕という雰囲気でした」
父親の病気が決定的に悪くなったのは天野氏が高校2年の時。「発作性の呼吸困難を起こし、東大病院に入院しました。検査の結果、心臓の弁の働きが悪くなる心臓弁膜症(用語2)と分かりましたが、当時の僕は知識がなくて、どんな病気なのかピンときませんでした。ラシックスという、うっ血性心不全(用語3)の薬で小康状態になったのですが、冬場になると風邪を引いて心臓に負担が掛かり、体調が悪くなる状況は続いていました」
(2016/11/28 11:55)