一流に学ぶ 心臓カテーテルのトップランナー―三角和雄氏

(第8回)
帰国後の勤務先、設備で決定
研修医いない状態にがく然

 米国ハワイでの開業医生活が3年目を迎える頃になると、日本から「そろそろ帰ってこないか」という声が頻繁に届くようになった。

 学校で銃乱射事件が起きたなどという報道に触れるにつけ、子どもたちの教育のことも考え、帰国の決断を迫られた。「米国でずっと働こうとは思わなかったですね。やはり日本人だし、(高齢の)両親のこともありました。親からも『日本の税金で医者になったんだから、どんな形にしろ、帰国するのが筋だろう』と言われていましたね」

 三角氏は幼稚園から大学まですべて国立だったため、教育費はあまりかかっていない。「授業料は今より安かったですから、はっきり言ってタダみたいなものでした。確か年額1万6千円ぐらいじゃなかったかな。6年間で9万6千円。医学部卒業のとき、成績上位者に入って時計をもらったんです。それが10万円だったから、4000円もうけたことになります」

 日本の大学から仕事のオファーも来ていた。しかし、三角氏が一番力を入れていたロータブレーターを使用するための環境がそこにはなかった。使用できる病院という条件で探したところ、千葉県松戸市の千葉西総合病院があった。ポストがたまたま空いており、当時の妻の実家の船橋市も近い。そこで大学のオファーを蹴って、同病院で働くことに決めたという。

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