女性アスリート健康支援委員会 五輪と女性スポーツの歩みを見つめて

新時代、女子マラソンの光と陰
先駆者の苦闘も目の当たりに


 ◇摂食障害の選手を初めて診る

 88年のソウル五輪の時、川原氏は日本代表選手団の本部ドクターとして、自身初めての五輪遠征を経験した。そのころ、ある陸上長距離の女子選手を診察した時の様子を、今もよく覚えている。

 「この選手はオリンピックの夢を断たれたあと、故障して走れなくなり、『走れない間に太ってはいけない』と食事を制限した末に、拒食症になっていました。摂食障害の選手を直接診たのは、初めての経験でした」

 1990年、日本陸連が米コロラド州ガニソンで行った高地トレーニングに同行した川原貴氏(右端)。左端は浅利純子選手、中央は松野明美選手(川原氏提供)
 低体重や無月経という問題を抱えた選手が、拒食症のような摂食障害に陥った時には、精神科医が心のケアを施すことも必要だ。川原氏はこの経験をきっかけに、必要に応じて精神科医の診療も受けられるよう、スポーツ診療所の態勢をさらに見直した。

 89年、川原氏は日本陸連の科学委員会副委員長に就任した。バルセロナ五輪を目指すマラソン選手らをサポートする立場で、持久力を高めるために低酸素の高地で行うトレーニングや、夏の暑さ対策などに関わるようになった。

 「ロス五輪、ソウル五輪と日本のマラソン陣はメダルに手が届かず、陸連は『バルセロナ大会こそメダルを取りに行こう』という姿勢でした。女子マラソンのレベルが上がるにつれて、無月経の選手が多くなりました。無月経にとどまらず、摂食障害になる選手も次々と出てきました」

 ◇メダルの栄光、選手の共通点は

 陸上の中長距離選手の育成を掲げ、中高生が出場する都道府県対抗の全国女子駅伝が始まり、全国高校女子駅伝が行われるようになったのも80年代だ。こうした駅伝ブームも背景に、10代の発育期に無理なトレーニングや減量をしたと思われる選手も、川原氏は目にするようになった。

 バルセロナ五輪で銀メダルを取った有森裕子選手の歓喜のフィニッシュ(時事)
 「陸連の合宿に参加した大学生の中には、原発性無月経(満18歳になっても初経がない)の選手もいました。10代で無理をして無月経を放置すると、体にいろいろ問題が起き、16~17歳で疲労骨折することも多い。結局、競技者として長続きしない選手も少なくありません」

 バルセロナ五輪の女子マラソンでは、有森裕子選手が銀メダルに輝き、山下佐知子選手も4位に入った。「後から考えると、有森さんも山下さんもジュニア時代に長距離で目立った成績を上げた選手ではありませんでしたね」

 有森は96年アトランタ大会でも銅メダル。その後、高橋尚子選手が28歳で迎えた2000年シドニー大会で、日本の陸上女子選手で史上初の金メダルを獲得し、日本女子マラソン陣の黄金時代はピークを迎えた。(水口郁雄) 


◇川原貴氏プロフィルなど

◇「名花」生んだ64年東京は遠く(五輪と女性スポーツの歩みを見つめて・上)

◇広がる舞台、医学の知識を支えに(五輪と女性スポーツの歩みを見つめて・下)



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