女性アスリート健康支援委員会 五輪と女性スポーツの歩みを見つめて
「名花」生んだ64年東京は遠く
スポーツ医40年、アスリートの変容と共に
1964年の東京五輪から半世紀余り。出場した日本選手団の選手たちについては生涯にわたり、4年に1回、健康や体力を追跡調査する研究が続く。女性アスリート健康支援委員会の川原貴会長は、途中から研究班に加わり、班長を務めたが、96年の調査では、女性特有の健康問題についてもアンケートで聞いた。
東京五輪当時、女子選手の競技・種目はまだ限られていた。日本選手団355人のうち、女子選手は61人。出場したのは、陸上競技、競泳、飛び込み、体操、バレーボール、フェンシング、カヌー、馬術だった。オリンピックのハイライトの一つであるマラソンも無論、まだ男子だけの種目だった。
◇健康追跡、結果は「一般人と差なし」
金メダルを取り、「東洋の魔女」として伝説となったバレーボールのように、厳しい練習を女子選手に課す指導者はいた。「だが、当時の選手は成熟した女性が多かったので、一時的に無月経があったとしても、10代の選手が無月経になるのとは違って、大きな問題にはなりませんでした」と川原氏は話す。
東京五輪で人々の記憶に残る競技の一つが女子体操だ。「団体銅メダルを取ったメンバーの池田敬子さんや小野清子さんはママさん選手で、出産後、子育てしながら練習して大会に臨みました。個人総合で金メダルに輝いたチェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカさんも、ふくよかで女性らしい体形をしていましたね」
チャスラフスカは当時22歳。優美な演技で「東京五輪の名花」とうたわれた。
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(2018/10/04 10:27)