女性アスリート健康支援委員会 五輪と女性スポーツの歩みを見つめて

広がる舞台、医学の知識を支えに
国の拠点充実見届け20年東京へ

 21世紀の幕開けとともに、日本に国立スポーツ科学センターが誕生した。川原貴・女性アスリート健康支援委員会会長は、準備段階からその設立に深くかかわった。国を挙げてスポーツをめぐる最先端の医学や科学を研究し、トップアスリートをサポートして、国際競技力を向上させる体制がようやく整った。「現在では、女性のトップ選手に対する支援も手厚くなりました」と川原氏は話す。

 女性アスリート健康支援委員会の川原貴会長。国立スポーツ科学センターの設立にも尽力した
 川原氏は日本選手団の本部ドクターや役員として、2000年のシドニー大会まで6回の五輪に同行し、アジア大会やユニバーシアードを含めると、国際大会への遠征回数は合計13回に上る。1990年代には、日本陸連が行ったマラソン選手の海外高地トレーニングにも、繰り返し同行した。

 世界レベルのトップアスリートを育成し、大舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるようにするため、医学と科学の力をどう生かすか。選手の病気やけがを予防し、健康と安全を守るために、医師として何ができるのか。研修医時代、「ひょんな縁」から飛び込んだスポーツ医学の世界で川原氏は考え続け、他のスポーツ強国の調査にも飛び回った。

 女性アスリートの健康問題を考えるとき、国際的には90年代に米国スポーツ医学会が「摂食障害」「無月経」「骨粗しょう症」という三つの問題を取り上げ、「女性アスリートの三主徴」と定義したことが、一つの転機となった。

 激しく運動したのに十分な食事を取らないと、体が利用できるエネルギーが不足し、無月経に陥りやすい。無月経になると、骨を丈夫にする女性ホルモン(エストロゲン)の分泌も抑えられ、骨粗しょう症にもなりやすい。現在は摂食障害を伴うかどうかにかかわらず、密接に関連する「利用可能エネルギー不足」「無月経」「骨粗しょう症」を「三主徴」と呼び、警鐘を鳴らす。

 ◇国挙げてトップ選手支援

 川原氏は国立スポーツ科学センターの設置に向けた準備室の室長を務め、2001年の同センター発足と同時に、スポーツ医学研究部長となった。「日本体育協会(現日本スポーツ協会)スポーツ診療所の診療事業も、センターで引き継ぎました。設置当初から、週1回の女性外来も設けました」と振り返る。

 2007年、国立スポーツ科学センターにタイからの見学者を迎えて。右から2番目が川原貴氏。同5人目が2代目センター長の笠原一也氏(川原氏提供)
 女性外来は12年から常設になった。文部科学省が「スポーツ立国戦略」で「女性アスリートが活躍しやすい環境の整備」を掲げ、後押ししたことが大きい。「スポーツ基本計画でも、女性アスリートの支援を政策として打ち出し、婦人科の医師がフルタイムで働くようになりました。女性アスリートに関する大規模な調査研究を行い、実態も分かってきて、いろいろな取り組みが一気に進みました」

 17年1月、川原氏はセンター長の職を最後に、同センターを離れたが、同センターは現在、女性のスポーツ環境の改善に向けたさまざまな取り組みを実施する。

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