こちら診察室 アルコール依存症の真実

「しらふ」で戻った親子の絆 第28回

 42歳の正月が最後の酒となった男性は5年と6カ月、酒を一滴も飲んでいない。その間に妻とは離婚。二人の息子も戻っていない。今回は、その男性の思いを紹介する。

息子の手を握ると、強く握り返してきた

 ◇酒は嫌だ

 中学生の時に飲み始め、酒だけは手放さなかった男性が「酒をやめよう」と思ったのは、妻から「私は、あなたのために何かをすることをやめました」と宣言され、命からがら入院した精神科病院のベッドの上だった。

 壊疽(えそ)による足切断の危機から奇跡的に逃れ、底知れない孤独感に包まれた時、「今の自分にできることは酒をやめることしかない」と思った。

 「酒をやめてどんな生活をしようとか、逃げた家族ともう一度一緒に暮らしたいとか、一切頭に浮かびませんでした。ただただ今度の入院で味わった怖い思いをしたくなかったからです。もう酒は嫌だ!そればかりが頭を支配していました」

 ◇しらふになって

 入院の少し前から酒は飲んでいない。つまりは、しらふだ。だが、酒が抜け切っていないように感じていた。何か体が宙に浮いているようだった。入院から2カ月たった頃から、「自分はしらふなんだ」と実感できるようになっていった。だから、こう言う。

 「しらふになるにしたがって、子どもたちのことを思い出すようになりました。私は父親の顔を知りません」

 男性の母親は未婚である。

 「その苦しさを知っているのに2人の息子を父親のない子にしてしまいました。これが、たまらなくつらかった。だからといって、何をどうすることもできません」

 ◇後悔の日々

 「自分がアル中になったために家族も、仕事も、家も失いました」

 アルコール依存症者の多くは自分のことを「アル中」と言う。

 「『なぜ、こうなったのか』、『なぜ、アル中になってしまったのだろうか』と後悔がとめどもなく押し寄せてきました」

 男性が「彼女」と呼び続ける妻を憎んだこともあった。

 「酒を飲めば、彼女への怒りが爆発したことでしょう。しかし、私はしらふです。彼女を恨むエネルギーも薄れていきました」

 やがて、諦めの時が訪れる。

 「家族のことも仕事のことも悲しいことだらけでしたが、なってしまったことはどうしようもない、もう取り戻すことはできないんだ。そう認めるようになってから少し楽になりました」

 ◇微妙な距離に住む

 「退院してから大学の先輩に拾われ、十数年ぶりにサラリーマンをすることができました」

 住むアパートも替えた。

 「子どもたちの通う学校の近くに住んでいましたが、近過ぎると思い、引っ越しました。でも、あまり遠くに離れるのも寂し過ぎます。彼女と子どもたちが暮らしている家は知っています。その隣の区にアパートを借りました。先輩が保証人になってくれました。先輩には、感謝の気持ちしかありません」

 ◇毎日通う自助グループ

 「自助グループのミーティングには、毎日毎日通いました。5年間ずっと。今も通っています。楽しかったわけではありません。ほかの何をするより、そこに居たほうが楽だと思ったからです」

 男性が通った自助グループはA.A.(アルコホーリクス・アノニマス:匿名のアルコール依存症者たち)という。飲酒をやめ、A.A.につながった日を新たな自分の誕生日として、自分の年を刻んでいく。ミーティングで、メンバーは過去から現在へと続く自分のあり様を語り合う。

 「正直に、正確に自分を語ることを繰り返します。ミーティングを重ねる中で、段々と自分が見えてくるようになりました。なぜ酒があれほどに必要だったのか、あの時なぜ酒を止めようと思ったのか、そして家族への思い…」

 ◇しらふを続けること

 男性にとって一番の悲しさ、苦しさは息子たちの問題だった。

「息子たちが生まれた時から私は酒を飲み、酔っ払い続けていました。酒をやめたら、今度は別々に住んでいます」

 そんな自分が息子たちにできることは何か。

 「息子たちに私がしてやれることは何もありません。それを認めた時、何か思いが吹っ切れた感じがしました」

 絞り出すように男性は言う。

 「何もしてやれない2人の息子に対し、父親としてどう生きればいいのか。難しいことじゃありません。しらふで生きようと思ったのです」

 淡々と続ける。

 「息子たちはACです」

 ACとはアダルトチルドレン(Adult  Children  of  Alcoholics)の略で、アルコール依存症者の家庭で育った子どもたちのことだ。

 「私の影響で彼らが病んだ分、彼らが少しでも癒されるのなら、私にできることはしらふである自分を続けることだけです」

 ◇涙が止まらない

 男性は年に1、2回、息子たちと会っている。上の息子と北海道旅行に行ったことがある。もちろん、酒をやめてからのことだ。

 「旅の最中に家族の話になると、息子は母親をかばい、弟をかばいました。それでいて、私を責めることもありませんでした。なぜこんなに優しいのだろう」

 男性は旅の中で考え続けた。そして、羽田から新宿駅行きのバスに乗っている時に気付いた。

 「きっと彼は寂しいのではないかとね」

 そう気付いた時、涙が出てきて止まらなくなった。隣の席では息子も涙を流していた。

 「父さん、楽しかったよ」と息子は言った。手を握ると、息子はその手を強く握り返してきた。

 「父さん、俺、大丈夫だよ」

 バスの中で親子は嗚咽(おえつ)し続けた。男性は思った。

 「この悲しさは他の誰にも味わえない、私だけの悲しさなんだ。これから先、私はこの悲しさを抱えながら生きていく。そのためには、しらふで生きるしかないんだ」

 男性は今、アルコール依存症者たちのために、仲間がカウンセリングを行うピアカウンセラーとしてアルコール依存症の専門クリニックで働いている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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