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希望につながる認知症の告知 第32回

 がんの告知は、今や当たり前となっている。ところが、認知症であることの本人への告知に抵抗感を示す医師は、まだまだ多いようだ。

あるクリニックの診察室で、認知症の告知が行われた

 ◇告知しない理由

 認知症は、「脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態」(介護保険法第5条の2)と定義されている。

 原因疾患別にアルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症など、さまざまなタイプがある。その多くは、根本的な治療法が確立されておらず、それが告知をためらう大きな理由となっている。

 ただ、がんについても治療が難しいものは依然少なくない。

 ◇がんの告知との違い

 がんの告知が当たり前になった理由には、患者の治療への積極的参加により治癒や寛解の可能性が高まること、インフォームドコンセントや「患者の知る権利を守る」という考え方が普及したことなどが挙げられる。

 一方、認知症の場合は、治療法が確立されていないことに加え、認知症に対する誤解や偏見が根強く、告知の際の患者のショックが大きいこと、告知の際の説明の仕方が分からないこと、または患者本人に説明しても理解できないと思っている医師がいること、家族が本人をだまして診察に連れてくるケースが多いことなどが告知の進まない理由に加わる。

 ◇人生を左右する医師の選択

 認知症の場合もがんと同様、「早期発見」「早期治療」が重要だといわれる。しかし、早期発見・早期治療に直接影響を及ぼす告知の仕方は、医師によりまちまちだ。

 どんな医療機関のどんな医師に診てもらうかは、告知される患者の人生を左右するくらい重要なことが多い。

 ◇ある認知症専門クリニック

 認知症の疑いが濃厚の某大学の名誉教授である小島さん(85歳・仮名)が受診したのは、ある認知症専門クリニックだ。

 紆余(うよ)曲折の末、受診に至ったのだが、それについては、別の機会に述べる。そのクリニックは、認知症の告知を前提として、診察や治療を進めている。

 初診から2週間後、検査の結果が告げられることになった。

 これは、そのクリニックの院長が行った小嶋さんへの告知の場面だ。認知症の告知は、本人ごとに説明の方法を変えるのが大切であり、その一例であることをご理解いただいた上で、再現しよう。なお、筆者は本人との関係が深く、告知の場への同席が許された。

 ◇本人の背筋が伸びた

 丁寧な挨拶の後、院長は切り出した。

 「きょうは、私がどのようにして本日の診断に至ったのかを筋道を立てて、ご納得いただけるように話そうと思います。また、診断の結果が何を意味するのかについても、説明できればと考えています」

 本人の背筋がぴんと伸びた。

 それを見て、院長は折り目正しい言葉遣いで血液検査の結果に異常はなかったことを告げた。続けてMRIの画像をパソコンに映しながら説明を始めた。うっすらと残る脳梗塞の痕などに触れ、説明は核心部へと入っていく。

 ◇海馬の説明

 「ここに見えるこの部分を海馬といい、新しいことを覚えるなどの働きがあります。この海馬が少し痩せているように見えます」

 本人は、真剣な表情でメモを取りながら聞いている。といっても、メモの文字は、ミミズのようにのたうち回っているのだが、本人からは「一言も聞き逃さないぞ」という姿勢が伝わってくる。

 「海馬が痩せると、新しいことを覚えるのが苦手になります。心当たりはありますか?」

 「はい、昔のようにはいかないですね。なかなか覚えられません」

 「昔は、大変勉強されたんでしょうねえ」

 「それしか取りえがありませんから」

 ◇誤解の是正と希望の提示

  本人は続けた。

 「今は物忘れが多くなり、ばかになりました」

 「いえ、それは違いますよ」

 院長は、きっぱりと否定する。

 「物忘れが多くなったのではありません。新しいことを覚えるのが苦手になっただけなのです。ましてや、ばかになったわけではありませんし、これから先、ばかになることはありません」

 本人の顔が「なるほど」と少し緩む。

 「世間では、認知症に対する間違った常識がまん延しています。『認知症になったらおしまい』などと、やたらに恐怖をあおり立てる風潮もあります。でも、決しておしまいではありません。認知症になっても心豊かに暮らしている人を私は何人も知っています」

 ◇予防偏重への警鐘

 院長は「患者」という言葉を使わない。「患者」ではなく「人」なのだ。加えて言えば、白衣は着用せず、私服で診察に臨む。院長は続ける。

 「『認知症予防』という言葉も声高に叫ばれています。でも、脳トレ、ぼけ予防の食事運動・サプリなど、予防効果が証明されたものはありません。そればかりか、予防偏重の社会は、認知症になった人の排除を招くような気がしています。多くの人が認知症になる時代です。軽度認知障害と呼ばれる人を入れると、国内に1000万人がいるといわれています。認知症になっても、より良く生きることができる社会を皆さんと一緒に何とかつくっていきたいと私は考えています」

 ◇神経心理検査の説明

 続いて、院長は神経心理検査の結果を伝えた。このクリニックでは、改定長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMMSE(Mini Mental State Examination)の二つの方法で検査を行う。どちらも認知症を疑わせる点数だという。

 「この点数は、海馬が痩せて新しいことを覚えづらくなっているわけですから、致し方ない面があります。また、検査の結果は診断のヒントでしかありませんので、深く考える必要はありません」

 ◇診断名の告知

 初診時に、「小さな人が見える」という幻視の説明を本人は、院長にしている。その症状を院長は再度確認したあと、診断名を告げた。

 「アルツハイマー型認知症です。レビー小体型認知症もあるようです」

 本人は、告知を静かに聞いていた。

 その後、診断の根拠を説明に移った。一時止まっていたメモを復活させ、本人は食い入るように院長の説明を聴いた。

 ◇治療方針の説明

 院長は、認知症の進行曲線が描かれたボードを示しながら、治療方針の説明を行った。

 認知症は薬を飲んでも進むという事実を明確に押さえた上で、院長はボードの曲線をなぞりながら、薬を飲めば飲まない場合に比べて進み方を遅らせることができることを説明した。また、服薬により、意識レベルの低下を改善する効果が見込めるので、幻視が減る可能性が高いことを付け加えた。

 認知症の診断・告知に関しては、「早期診断早期絶望」という言葉がある。しかし、この場で行われた告知は、「絶望」を申し渡すものではなく、「希望」を与えるものだったと筆者は感じた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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