ダイバーシティ(多様性) 障害を持っても華やかに
人生のどん底からデフサポを立ち上げるまで (ソニー出身、デフサポ代表取締役 牧野友香子)【第4回】
牧野さんの家族
◇おなかの中の赤ちゃんに障害があるかも?
カルチャーショックはあれども、ソニー時代は同期や同僚にも恵まれ、会社でも充実して過ごせていて、大好きな夫とも結婚できて、順風満帆だなあ〜と人生を謳歌(おうか)していました。
しかし、そんな私にも転機が訪れます。
忘れもしない、2014年。妊娠8カ月に差し掛かった頃、「おなかの中にいるお子さんに病気があるかもしれません、すぐに転院してください」と言われました。健診で「おなかのお子さんに、もしかしたら病気があるかも」って言われ、そんなこと、つゆほども思っていなかった私は、「えー!!」とびっくりして。「なんか骨が短い気がするんだけど、気のせいかもしれない」みたいに言われて、何回か検査入院したのですが、結局「やっぱりなんでもないかも」って言われ、なにもないことを期待して産んだらやっぱり難病があったんです。
◇人生で最もどん底だった時期
産んですぐに、もう見た目、雰囲気で「あ、この子病気あるな」っていうのはすぐ分かったんですが、珍しい病気すぎて病名が分からなくて。入院中なんて喜びもなく、もうずーっと携帯で「骨短い」とか、いろんな病気を検索したりして、げっそりして。
産後も私が先に退院したので、ボロボロのメンタルで、バスと電車を乗り継いで病院まで母乳を届けに行っていたんですね。
この時がこれまで生きてきた中で、一番どん底でした。
皆がSNSで、子どものかわいい写真とか上げているのも見れないし、なんで私ばっかりこんな苦労があるの!育てられない、育てたくない!とさえ思いました。
私自身、耳が聞こえていなくても、いろいろ努力したり、工夫したりしながら前向きに楽しく過ごせていたのに、どうして私にばっかりこんな試練があるんだろう…。
周りの人たちは苦労もせず、耳も聞こえて、健康な子どもを産んでいて幸せそう・・・。
障害のない子どもを育てる、そんな当たり前の幸せすら自分の下には、やって来ないのか…そして「わが子を育てたくない」って思うなんて、そんな私は人としてあり得ないのかも…。人としてだめなんだ…と絶望の淵にいました。
長女出産後、NICUからの退院日
◇どん底から抜け出せたきっかけ
そんな私を救ったのは母と夫のある言葉でした。
夫は、泣きごとを言う私にずっと寄り添ってくれ、「子どもも、もちろん大事だけど、ユカコのこともめっちゃ大事だから、どんな選択をしてもいいよ」と言ってくれました。
そして母は、「そうだよね、育てられへんかったら私が育ててあげる。私、ユカコで障害児2人目やからさ、大丈夫よ。泣いてもいいねん。育てられない、そういうふうに思ったっていいのよ。そんなふうに思うなんて母親失格とか自分を責めなくていいねんよ」と。
そうやって夫と母が私を受け止めてくれ、最悪の逃げ場をつくってくれたことで、「やれるところまでやってみよう」と思えました。もし、この時「大丈夫!頑張って!」とか「あなただから神様から選ばれたのよ、頑張れるからだよ!」と言われていたら心が折れていたかもしれません。
6カ月過ぎて、1歳過ぎて、だんだん意思疎通もできるようになってきて、わが子がとってもかわいくなってきて、今ではもう目の中に入れても痛くないくらい溺愛していますが(かなり親バカです)、あのどん底は、経験した人にしかわからない闇なんだろうなと思っています。
このときの親のメンタルケアをしてくれる場所が日本には、まだまだ少ないなあと感じています。医師や看護師の方々は本当に多忙な中、さらにこの業務は担えないと思いますし、もっと心のケアをしっかりしてほしいと個人的には感じています。NICU(新生児集中治療室)で見た闇についても、またお話しできたらと思っています。
◇選択肢が全然ない!わが子は自由に人生を選べないの?
そこからだんだん立ち直ってきて、子供の療育が本格的にスタートし始めた頃、現実を知ってがくぜんとしました。
実は”障害児”には、療育やリハビリの選択肢がとにかく全然無いんです!施設や先生によって力量にかなりの差があるのが現状です。その上、地域ごとに行ける範囲が決まっているので希望する場所には行けるとは限りません。
しかも難病についてのロールモデルがなく、わが子がどんな学生時代を過ごし、どんな大人になるのか?が全く見えないことも不安でした。そもそも学校に行けるのか?とも思いました。
デフサポHP
◇難聴のある私にできることがあるのでは?
そんな中で改めて私が子を持つ親となったことで、難聴児を持った親御さんに、何かできることがあるかもしれないと思い始めました。
障害があるって分かったときのどん底のつらさ、情報がないつらさ、ロールモデルが分からないしんどさ、どれも私が経験していることです。
私自身聴覚障害がありながら、地域の学校で過ごし、国立大学、そして一般採用で大企業に就職し、仕事をやっていたのですが、私にとって当たり前のことも、もしかしたら誰かにとってのロールモデルになれるのでは?とも感じました
そして私自身も障害児、難病児を産んだことで、障害児を産んだ親御さんに「気持ちに寄り添いながら正しい情報を提供できる」んじゃないかと考えました。
そして未来の難聴児は「不幸」でもなんでもなくて、なんなら「より華やかに自分らしい道を自由に選べる」ような人生を送れるようになっていますし、より多くの子どもたちにそうなってほしいと思っています。
そういった思いから「デフサポ」を立ち上げました(・deaf=聴覚障害者・def=すてきな〈スラング的な感じですが…〉を掛け合わせて、聞こえない人たちが、すてきな人生を送れるsupportをするということでデフサポとしています!)。
◇デフサポとは?
ではデフサポでは、なにをしているのか?というと
主に大きく分けて三つのことをやっています。
デフゼミについて
(1)言葉の教育
一つ目は難聴のある子どもたちが苦手になりやすい「言葉」をどう教えたらいいのか?をサポートする事業、これに今一番力を入れています。
聞こえる皆さんは、いつの間にか言葉を習得していたと思います。でも聞こえない子どもたちは耳が聞こえていないので自然と言葉が入って来にくい分、言葉が抜けてしまいがちです。
そういった子どもたちに、どうやって言葉を教えたらいいのか?を多くの親御さんは知りません。
実は、ほとんどの親御さんが皆さんと同じ、聞こえる環境で育ってきているので、どうやって教えたらいいのかが分からないんですね。
そういった親子に、正しい情報や言葉の教え方などを伝えています。(デフゼミ)
創業してすぐの2018年より、企業研修を行なっています
(2)働く障害者と企業をサポートする
二つ目は企業が実際に採用した障害者をどう育てるか、どう戦力にしたらよいかが分からないことが多いため、聴覚障害者がキャリアを諦めるケースが多々あります。そういったことのないように企業に入った障害者をサポートする事業です。元人事担当者でもあり、当事者でもある立場から聴覚障害者にしっかり戦力になってもらい、かつチームとしても生産性が上がるような研修、コンサルティングを行なっています。
(3)より多くの人に聴覚障害のことを知ってもらう
三つ目は、この連載もそうですが、多くの人に「聴覚障害」について知ってもらうための事業になります。YouTubeも昨年から始めました!(デフサポちゃんねる)
YouTubeを始めました!
もう一つ、事業とは別ですが、持っている目標があります。
私自身は、ほぼ耳が聞こえない中で会社を経営しています。
障害者で大企業に行くロールモデルは増えていますが、会社を経営している人はまだ少ないんですね。まだまだですが、そういったロールモデルにもなれたらな、と思っています。(了)
▼牧野友香子(まきのゆかこ)さん略歴
株式会社デフサポ 代表取締役
生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。
幼少期にすごく良いことばの先生に出会えたことでことばを獲得し、幼稚園から中学まで一般校に通い、聴者とともに育つ。
大阪府立天王寺高等学校から神戸大学に進学し、一般採用でソニー株式会社に入社。
人事で7年間勤務。主に労務を担当し、並行してダイバーシティの新卒採用にも携わる。
第1子が50万人に1人の難病かつ障害児だったことをきっかけに、療育や将来の選択肢の少なさを改めて実感し、2017年にデフサポを立ち上げ、2018年3月にソニーを退職し、聴覚障害児の支援に専念。デフサポでは聴覚障害児の親への情報提供、ことばの教育、就労支援を中心に実施。
2020年より多くの人に難聴に興味を持ってもらいたい!とYouTubeでデフサポちゃんねるをスタートする。
(2021/03/15 05:00)
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