およそ13年前の東日本大震災では、たんの吸引や人工呼吸器などの支援が必要な「医療的ケア児」も数多く被災した。「停電は命に関わる」。次男の幸太郎さん(24)が電動のたん吸引器を使っている仙台市泉区の主婦高橋邦子さん(55)はあの日、自宅が停電する中、保管していた予備のバッテリーや手動の吸引器で幸太郎さんの命をつないだ。再び大規模災害に見舞われたとき、どう避難すればいいか。今も不安は尽きない。
 幸太郎さんには脳性まひがあり、日々の生活にはたんの吸引や呼吸用チューブの交換などの医療的ケアが欠かせない。災害時に備え、自宅では1、2カ月分の吸引カテーテルや医薬品といった物資を備蓄している。
 震災当時、幸太郎さんは小学5年生。自宅の居間にいたところ、経験したことのない揺れに襲われた。「家がつぶれるかも」。一緒にいた邦子さんは幸太郎さんの頭に枕を乗せ、揺れが落ち着くまで抱っこした。
 地震直後には停電も発生。邦子さんは自宅に保管していた予備のバッテリーや手動の吸引器をすぐに用意し、4日間の停電生活を乗り切った。「たんは取らないと窒息する危険もある。本当に怖かった」と振り返る。
 邦子さんは指定避難所を把握していたが、震災時は在宅避難を選んだ。「電源や物資の確保などに不安のある避難所に行くよりも、幸太郎に必要な物がそろった家の方が安心だった」と語る。
 ただ、元日の能登半島地震で家屋の倒壊が相次ぐ様子をテレビで見て、在宅避難への不安は増した。「どれだけ備蓄をしていても家が倒壊しては物資も持ち出せない。すぐに逃げるしかないけれど、息子を抱えてすぐに家から出られるだろうか」と自問する。
 宮城県内で医療的ケア児らの訪問診療に取り組む「あおぞら診療所ほっこり仙台」の田中総一郎院長(59)によると、震災後、たんの吸引音などを心配して自宅に避難するケア児家族は少なくなかったという。
 仙台市は今年度、ケア児を含めた障害者や高齢者らの避難計画を自主的に策定する地区を選び、先行事例を市内全域に広めるモデル事業に取り組んでいる。
 ただ、田中院長は「ケア児は知らない場所へ行くだけでも体調を崩すリスクがある。できれば慣れた場所へ避難できる仕組みも検討してほしい」と述べ、一人ひとりの体調に応じたきめ細かな対応を求める。 (C)時事通信社