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ボッチャで身体機能改善
~脳性まひの子どもを東京パラへ~

 東京パラリンピックの正式種目であるボッチャに関心を持つ人たちが増えている。一人の理学療法士が、この競技に脳性まひの子どもをいざない、やがて、その子がパラリンピック日本代表選手になる道を開いた。その井上伸さんがボッチャ日本代表の強化トレーナーを務める。厳しい状態の子どもに希望を与えた井上さんは「医療関係者として、選手を支えることが生きがいだと思う」と控えめに語る。

ボッチャの個人(脳性まひBC1)予選でプレーする中村拓海選手

ボッチャの個人(脳性まひBC1)予選でプレーする中村拓海選手

 ◇誰でも楽しめるスポーツ

 ボッチャは、ジャックボールという白い目標球に向かって赤と青のボールを6球ずつ投げたり、転がしたり、蹴ったりして得点を争う競技だ。ボールを投げることができなくても、競技アシスタントのサポートを受けながら「ランプ」と呼ばれる投球補助具(勾配具)でボールを転がすことでプレーができる。「参加したい」という意思があれば、誰でも楽しめるスポーツだ。

 国際大会では脳性まひや四肢機能障がいなど、障がいの程度によってBC1,BC2,BC3、BC4の四つのクラスに分かれる。BC1,BC2は脳性まひの障がい者が多い。

ボッチャの持つ可能性に期待する井上伸さん

ボッチャの持つ可能性に期待する井上伸さん

 ◇障害の有無は関係ない

 ボッチャは、いかにジャックボールに自分のボールを近づけるかを競う。トップクラスの競技者は数手先を読み、戦略を立てる。相手のボールを弾いたり、ジャックボールの位置をずらしたりと奥が深い。井上さんはボッチャの魅力について「障がいの有無にかかわらず、子どもから大人まで熱くなれる。それが良いところかな」と語る。

 井上さんは、障がいがある児童の治療やリハビリテーションなどを行う大阪発達総合療育センター(大阪市)に勤務している。1年目に配属された病棟で、活動の一環としてボッチャが採り入れられた。それがきっかけでこの競技を知り、興味を持つようになった。

 ◇「僕もやりたい」

 パラリンピックへの初出場を果たした中村拓海選手(23)=BC1クラス=は小学6年生の時に同センターのリハビリ外来に通っていた。その時、担当の井上さんから「ボッチャというスポーツがあるよ」と紹介され、「僕もボールを投げたい。ボッチャをやってみたいな」と答えた。

予選でボールを投げる中村選手

予選でボールを投げる中村選手

 中村選手は先天性の二分脊髄症と水頭症による脳性まひのため、電動車いすを使用する。ボッチャを始める前は手を開くことができず、ボールを握ることもできなかった。最初はランプを用いて始めたが、段々と自身の力で投げたいという気持ちが強くなっていったという。時間はかかったが段階的に練習を重ねていくうちに、ボールを握ったり、上肢を振り下ろしたりすることができるようになった。

 「最初はボールを投げられなかった子どもが、できるようになった。本人の努力とリハビリのプログラムがうまくマッチした」。井上さんは「中村選手のようなケースはあまり経験したことがない」と話す。

 障がいのために今はボールを投げられない子どもであっても、投げられるようになる可能性はある。井上さんは「その子どもに可能な身体的機能を見いだし、本人のやる気を引き出すことが大切だ」と強調する。

 ◇日常生活でも改善

 中村選手は、ボッチャをやることによって、日常生活でできることが少しずつ増えていった。例えば、床の上でお尻を少しずらして1メートルほど移動し、井上さんの方に近づけるようになった。これは大変な進歩だ。脳性まひを患うと、身体的機能が落ちる。井上さんは「彼の場合はボッチャを始めてから機能が上がっていった」と振り返る。

 中村選手はパラリンピック前のテレビの取材に「最後の一球まで、どういう状況になっても思い切って投げる」と力強く語った。理学療法士として障がい者スポーツに関わる意義は大きい。「多くの職種の人たちと話すことができ、学んだことを普段の活動にも反映できる。一つの切り口として、そこにボッチャがあり、やりがいを感じる」と井上さん。中村選手が一つ一つの試合に集中し、全力でプレーすることを支え続ける。(了)

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