教えて!けいゆう先生

病気がちだった幼い頃の不安
医師が埋めるべき情報格差

 私は幼い頃、気管支ぜんそくで病院によく通っていました。発作的にのどがヒューヒューと音を立て、せきが止まらなくなり、呼吸がしにくくなる。こうしたぜんそく発作を頻繁に起こしていたのです。両親に車で病院に連れて行ってもらい、吸入の治療をよく受けていたことを覚えています。

 子供の頃の記憶はたいていあいまいです。しかし不思議なことに、ぜんそく発作を起こして病院に運ばれた時のことは一つ一つ鮮明に覚えています。修学旅行で友人たちとふざけて枕投げをした時。自宅のガレージで妹とキャッチボールをした時。たくさん猫を飼っている知人の家に遊びに行った時。

 ほこりっぽい環境や、動物の毛が多い環境が発作の誘引になっていたようでした。

大まかな知識があるのと無いのでは大違い

大まかな知識があるのと無いのでは大違い

 ◇アレルギーマーチ

 また、私は幼い頃アトピー性皮膚炎を持っていました。首や肘、膝の裏側にひどいかゆみが出て止まらず、かきこわして皮膚がボロボロになり、血まみれになっていました。

 特に夏の暑い時が大変でした。

 汗が出るとかゆくなり、かいてはいけないと分かっていても我慢できずにかきむしってしまうのです。かゆくて仕方がなくなり、我慢の限界に達して膝の裏に爪を立ててかきむしり、かゆみを解消する。あの時の何とも言えない罪悪感は、今でも鮮明に覚えています。

 さらに私は幼い頃、アレルギー性鼻炎を持っていました。いつも鼻水と鼻づまりに悩まされ、頻繁に耳鼻科に通っていました。今なら人前ではなをかむことに抵抗はありませんが、小学生の頃は、授業中に大きな音を立ててはなをかむのは非常に恥ずかしく、何とかギリギリまではなをすすって我慢していたのを覚えています。

 成長するにつれてこれらの病気は改善していったのですが、当時は、なぜこんなにたくさんの病気に一度にかかるのかと不安でした。そして私は医学部に入り、大学1年生の免疫学の講義で「アレルギーマーチ」という言葉を初めて知り、膝を打つことになるのです。

 ◇知っているという安心感

 乳児期にアトピー性皮膚炎があると、成長するにつれて、食物アレルギー気管支ぜんそく、 鼻炎など、他のアレルギー疾患に次々にかかる確率が高くなることが知られています。こうした様子は、「行進」にたとえて「アレルギーマーチ」と呼ばれています。

 私の体はまさにこの「典型例」であり、多くの異なる病気に同時にかかることが特異だ、というわけではありませんでした。大学の講義でこの現象を学んだ時、私は思いました。「もしあの頃、これが『典型的な経過である』と知っていたら、不安は軽くすんだのではないだろうか」と。

 何より私の両親はそうでしょう。苦しむ私を毎回どんな思いで病院に連れて行っていたかと思えば、両親の不安の大きさは私の比ではなかっただろうと思います。

 ◇埋めるべき知識の格差

 医師と患者の間には情報の非対称性がある、とよく言われます。しかし、この情報量の格差は、患者さんが理解するのが難しい専門的知識だけで形成されているのではありません。簡単な言葉で伝えれば、比較的容易に理解できる知識も多いのです。

 そして、「概要を知っている」というだけで不安は大きく軽減されます。えたいの知れないものであるほど、恐怖は増幅するからです。

 医療者側もまた、こうした状況を十分に理解し、上手な発信の方法を模索する必要がある、と常に感じています。むろん診察室の中での限られた時間でそれを実現するのは難しいでしょう。そこで私は、日頃からウェブメディアやSNSなどを通して情報発信を続けています。

 いつかどこかで、あの頃の私や私の両親のように不安にさいなまれている人たちに、この声が届けば、と願っています。(医師・山本健人)


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