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ICTで地域に貢献
自ら学ぶ力を育てる―佐賀大学医学部

インタビューに応える末岡榮三朗医学部長

インタビューに応える末岡榮三朗医学部長

 ◇患者の死をきっかけに

 末岡氏は山口県萩市の農家の4人兄弟の末っ子として生まれた。医学部を目指したのは「外科医になった兄に負けたくなかったから」。高校2年で母親、大学1年で父親を病気で亡くし、短期間のうちに両親と祖父母を次々と失った。

 中高で剣道、大学では空手にのめりこみ、それほど勉強熱心な学生ではなかったというが、このころから死を意識するようになり、本気になって医療のことを考えるようになったという。

 医学部6年の選択コースを担当した血液内科の教授に憧れ、血液内科に入局。もともと運動部で体力に自信があったこともあって、何人もの患者を受け持った。医師になって4年目頃、30代の白血病患者が立て続けに3人亡くなった。当時は分子標的薬もなく、治療に使える抗がん剤も限られていて、治療が功を奏しないことも少なくなかった。

 「小さい子どもさんを残して亡くなっていくお母さんをみるのは非常につらくて。つらいのを繰り返すと、慣れるという人もいますが、僕の場合は限界を感じました」

 以後、臨床の現場を離れ、国立がんセンター研究所、埼玉県立ガンセンター研究所でがんの遺伝子解析の研究に没頭した。7年後の1999年、再び臨床医として働くようになると、がん告知が当たり前になり、白血病の治療も進歩するなど、がんを取り巻く環境は劇的に変わっていた。

 2011年頃から佐賀大学医学部付属病院検査部に所属し、膨大な検査データに触れたのをきっかけに、ICTの世界に興味をもつようになる。「赤ひげみたいな医師を目指してきた僕がICTに興味をもつのは自分でも不思議です」と末岡氏は笑う。

 ◇80点でも元気な人を

 これからの医学生に期待することとして、「元気な学生に入ってきてほしい」という切実な願いがある。「100点の人を10人よりも、80点でも元気な人が20人いた方がいい」と末岡医学部長。

 「成績が優秀だから医学部に、というのではなく、浪人しても医学部に行きたいという人たちのほうが、うまく育てれば継続的に医療者としてパワーを発揮してくれるんじゃないかと思います」

 地域のために貢献できる人材を育てるためには、モチベーションの高い学生を確保することが大切だ。「今後は地元の高校に出掛けて行って、元気のいい学生さんを送ってもらえるよう、草の根的な交流をしていきたい」と末岡医学部長。未来を見据えた人材育成の試行錯誤が続いている。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

【佐賀大学医学部 沿革】

1976年 佐賀医科大学開学
  78年 第1回入学式挙行
  81年 医学部付属病院設置
2003年 佐賀大学と統合し、佐賀大学医学部となる
  05年 救命救急センターを設置
  09年 がんセンターを設置
  10年 Aiセンターを設置
  12年 肝疾患センターを設置
      地域総合診療センターを設置
  14年 佐賀県ドクターヘリ運航開始
  16年 メディカルバイオバンクセンターを設置
  19年 再生医学研究センターを設置


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