教えて!けいゆう先生

医師が向き合う「予備力の低さ」とは?
祖父が入院で失ったもの

 2018年9月、私のスマホに1通のメールが入りました。「おじいちゃんが倒れた」。母からでした。その日、私は出張のため地元関西から東京に来ていました。私の祖父は80歳代後半と高齢ではあるものの、それまで一人で買い物や家事などができ、何一つ不自由なく自力で生活できていました。祖父に一体何があったのか?

高齢者の入院にはリスクがある

高齢者の入院にはリスクがある

 すぐに母に電話をして詳細を聞いてみると、祖父は自宅でよろめいて転倒し、その際につかんだ小さな食器棚が倒れ、左腕がその下敷きになったというのです。自力で起き上がることができず、動けない状態で1日近く経過したところで、マンションの管理人が祖父を発見して救急要請した、とのことでした。祖父の腕は長時間圧迫されていたことで、コンパートメント症候群を起こしていました。

 腕の中の組織が腫れたり周囲に出血したりすることで、これが狭い空間の中を通る神経や血管を圧迫してしまう状態です。場合によっては、腕が永久にまひしたり、筋肉が壊死(えし)したりすることで切断を余儀なくされることもあります。祖父は生死をさまよったのち、全身麻酔手術を合計3回受けました。

 急性期病院に1カ月入院したのち、近隣のリハビリ病院で2カ月を過ごし、自宅に戻りました。左腕は何とか切断を免れたものの、ほとんど動かなくなってしまいました。ところが、問題はそれだけではありませんでした。

 ◇生活力を大きく失った祖父

 祖父のけがは左腕だけでした。しかし、度重なる全身麻酔手術と、病院での長期にわたるベッド生活により、自力での歩行ができなくなりました。自宅用と外出用に2台車椅子を用意し、完全に車椅子生活になっています。自宅を改造して介護ベッドを導入し、手すりを付け、ポータブルトイレを備え付けました。入浴は週2回のデイサービス、排せつはポータブルトイレで何とか自力でできる状態です。

 入院する前は、80歳代後半という年齢を疑われるほど元気に生活していた祖父は、ただ一つのけがにより、このたった数カ月で大幅に生活力を失ったのです。しかし私は幸か不幸か、この祖父の変化に驚きを感じませんでした。同じような方々を、もう数え切れないほど見てきたからです。

 ◇高齢者の入院は大きなリスク

 元気で自立した生活を送っている方でも、高齢者の体は年齢相応に老いています。一見すると若い人に匹敵するくらい元気な方でも、高齢者の健康は極めて微妙なバランスで保たれているのです。小さなけが、病気による入院や手術がきっかけで、驚くほどに生活力を失ってしまうケースは多々あります。

 普段元気なだけに、こうした事態を予想していないご家族の方は、「入院したらこんなことになってしまった。ちゃんと治療してくれたのか」「こんなことになるくらいなら、手術など受けなければよかった」と言って、医療に対して不信感をあらわにする方もいらっしゃいますが、これが高齢者特有の現象なのです。こういう状態のことを、医療現場では「高齢者は予備力が低い」と表現します。

 けがや病気が起こった部位とは直接関連のない部分に障害が出る、ということもしばしば経験します。私の祖父のけがは左腕だけでしたが、結果的に自力で歩行できなくなってしまいました。中には、大きなおなかの手術による体への負担がきっかけで、入院中に脳梗塞を起こしたり、肺炎を起こしたりする方もいます。もともと認知機能がはっきりした方でも、入院を契機に認知症を発症したり、寝たきりになってしまったりすることもあります。若い方ならすぐに立ち直れるような副作用や合併症(手術後に起こるさまざまな問題)が、命取りになることもあるのです。

 私は高齢者が入院する際には必ず、治療がうまくいっても、(1)体の状態は一段階落ちる可能性が高い(2)入院を契機に他の病気を発症する可能性がある(3)寝たきりになったり、認知症を発症したりする可能性がある-ことをご説明します。そして、生活力の低下を少しでも軽くするため、ご高齢の方が入院する際は、可能であればご家族と歩行練習をしたり、一緒に会話をしたりすることが望ましいことを伝えます。

 もちろん高齢者であっても、入院前とほぼ同じ状態に回復し、元の生活に戻れる方もいます。ただ、ご本人もご家族も、高齢者の「予備力の低さ」というリスクを十分に知っておき、心の準備をしておくことが大切なのです。


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