一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏
(第2回)学生運動で大学封鎖=古本屋通い読みあさる
北大医学部に合格すると、それまで兄ばかりをかわいがり、上山氏を邪険にしていた親戚の態度が急に変わったという。
「さんざんお兄ちゃんはかわいいのにって言っていた叔母さんが、急に『わたしゃ、博ちゃんは子どもの時からどこか違うと思ってたのよ』って言うんですよ」と上山氏。「何言ってんだ、バカと思いました。僕は子ども時代に完全に性格がひねてました。ほとんど友だちもいない孤独な青春でした」
上山氏が医学部に入学した2年後に学生運動が活発化し、北大は封鎖状態になって授業も行われなくなった。最初は医学部内だけだったが、「ベトナム戦争反対!」「米英の資本主義打倒!」などと運動は激化。学生運動に参加しないと日和見学生と非難され、関心を示さなかった同氏のもとにも民青同盟、全学連などさまざまなセクト(党派)が勧誘にやってきた。
「僕は全部拒否して煩わしさを徹底的に排除しました。煩わしさを排除したら、徹底した孤独が待っているだけでした。煩わしさと孤独は反比例します」
北大病院前の古本屋の店主と顔なじみになって、本を片っ端から読みあさった。
「150円で買った本を読み終わると145円で買い取ってもらって、まるで貸本屋でした。本屋にある本、全部読むぐらいの勢いで読みました。19世紀ロシア文学を代表する文豪ドストエフスキーの最高傑作の一つ『カラマーゾフの兄弟』は、登場人物の名前が長くて覚えにくいからと全部書き出し、般若心経は写経もしました。新約聖書、旧約聖書も全部読みました。知らないことが恥だと思ったから、あらゆることを調べました」
古本屋に通いながら、学生たちが機動隊に駆逐されていく姿を横目で見ていた。学生運動を通じて学んだことは「力のない正義は正義たり得ない」ということだった。学生たちの主張は正しいことも多かったが、機動隊の圧倒的な力に排除される。このことは、後に医師としてのキャリアを築く上で何度も思い知らされることになる。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2017/09/21 14:54)