難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏|一流に学ぶ

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  • 2017/09/21 14:54

    (第2回)学生運動で大学封鎖=古本屋通い読みあさる

     父親が自衛隊でパイロットをしていたことも影響して、上山氏は高校2年までは飛行機を造る仕事に就きたいと考えていた。戦後初の国産旅客機YS―11の基本構想に参画した木村秀政氏が同じ青森県五戸町の出身で、夏休みに電車を乗り継いで会い…

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  • 2017/09/28 10:48

    (第3回)駆け落ちから結婚へ=初恋破れ、その後運命の出会い

     勉強も運動もトップで負け知らずだった上山氏は、20歳の時に大失恋を経験した。「医学部2年目の冬から翌年のゴールデンウイークまでの半年間、大学にもスキー部の練習にも行かず、毎日酒を飲んで寝たきり状態になっていました」 高校1年の…

    (第3回)駆け落ちから結婚へ=初恋破れ、その後運命の出会い
  • 2017/10/05 08:53

    (第4回)脳外科の道一直線=睡眠4時間、努力重ねる

     医学部に入る前から専門を脳外科にすることは決めていた。父親がトイレに忘れていった雑誌の記事を読んだのがきっかけだった。遺児支援の民間非営利団体「あしなが育英会」(東京都千代田区)会長の記事に「脳外科医が足りず、助かる命も助から…

    (第4回)脳外科の道一直線=睡眠4時間、努力重ねる
  • 2017/10/12 08:19

    (第5回)退院指示に教授激怒=「術者プライド」13年かけた教育

     順風満帆に研修医生活を送っていたある日、都留教授が机をひっくり返して怒るようなことをしでかしてしまった。上山氏は教授を心から尊敬していたし、目をかけてもらっている自負もあった。しかし教授が執刀予定だった患者を、同氏は独断で退…

    (第5回)退院指示に教授激怒=「術者プライド」13年かけた教育
  • 2017/10/19 10:32

    (第6回)骨埋める覚悟、秋田へ=もう一人の恩師との出会い

     寝る間も惜しんで日夜手術の腕を磨いてきた上山氏は30歳になる頃、仲間内では誰にも負けないほどの症例数をこなしていた。生涯の恩師に出会ったのは、そんな時だった。 都留教授が動脈瘤(りゅう)になって、その後遺症で物が二重に見える症…

    (第6回)骨埋める覚悟、秋田へ=もう一人の恩師との出会い
  • 2017/10/26 10:23

    (第7回)「論文書くな」恩師の言葉=不慮の事故、懸命看護も実らず

     秋田に着任した後、新参者の上山氏に伊藤氏はどんどん手術を任せた。朝から晩まで一緒で全国各地での手術に出掛ける時も、常に伊藤氏は上山氏を連れて行った。 「お風呂入るのも寝る部屋も一緒で、まさに寝食を共にしました。病気のことから何…

    (第7回)「論文書くな」恩師の言葉=不慮の事故、懸命看護も実らず
  • 2017/11/02 08:57

    (第8回)北大戻るも、居場所なく=手術器械の開発に専念

     伊藤善太郎氏の葬儀の日、秘書から思いがけない話を聞いた。秋田県庁の手違いで、上山氏の身分は秋田脳研赴任当時は非常勤だった。しかし医局からの手当として、毎月10万円が補填(ほてん)された。それは、伊藤氏が自分の給料袋から抜き、…

    (第8回)北大戻るも、居場所なく=手術器械の開発に専念
  • 2017/11/09 10:41

    (第9回)手術実績に集まる信頼=教授への道目指す

     大学の医局に戻ってから半年、手術や外来を担当させてもらえない日々が続いたが、完全に干された状態にようやく終わりが見えた。上山氏が置かれた状況を察知した関連病院の医師たちが、助け舟を出してくれたのだ。 「今は亡き杉田虔一郎教授…

    (第9回)手術実績に集まる信頼=教授への道目指す
  • 2017/11/16 10:34

    (第10回)手術で患者が死亡=土下座し謝罪

     北海道大学医学部の筆頭講師になった時、上山氏の人生を変える出来事があった。当時37歳。誰よりも手術がうまいと「慢心」していたが、術中に患者が亡くなってしまったのだ。 患者は42歳の脳腫瘍の男性。これまで他の病院で何度も開頭手術…

    (第10回)手術で患者が死亡=土下座し謝罪
  • 2017/11/24 14:19

    (第11回)戦力外、旭川に=手術の腕で「上」目指す

     手術室で起きたことは血管障害チームの全員が知っていた。チームリーダーの上山氏が血相を変えて患者の個室に向かうので、部下一同がどうなることかと戦々恐々としてついてきた。 患者を死なせてしまったのは自分のミス。上司の指示に従って…

    (第11回)戦力外、旭川に=手術の腕で「上」目指す
  • 2017/11/30 10:52

    (第12回)戦う相手、人から病気に=最後のとりで、患者に「大丈夫」

     旭川赤十字病院(北海道旭川市)に異動したとき、上山氏は外科医として脂の乗り切った44歳。その後20年が「本物の医療の壮絶な戦いだった」と振り返る。 「他の医師から手術は無理、手の施しようがないと言われていた患者を助ける戦いです…

    (第12回)戦う相手、人から病気に=最後のとりで、患者に「大丈夫」
  • 2017/12/07 10:38

    (第13回)手術失敗も「放映を」=1年後、確認できた奇跡

     上山氏の手術は、テレビ番組のスーパードクターの特集で何度となく紹介された。そんな中、テレビ局が取材したものの、すぐに放映されずに一時「お蔵入り」になった症例があった。手術が予想通りの結果にならず、術後、半身まひが残ってしまった…

    (第13回)手術失敗も「放映を」=1年後、確認できた奇跡
  • 2017/12/14 10:00

    (第14回)若手医師、札幌に集結=「匠の技」伝える

     2012年4月、63歳で旭川赤十字病院から札幌禎心会病院に拠点を移した。脳疾患研究所と優秀な脳神経外科医を育てる「上山博康脳神経外科塾」を創設。国内だけでなく海外からも若手脳外科医が学びにやって来た。塾長は旭川時代からの一番…

    (第14回)若手医師、札幌に集結=「匠の技」伝える
  • 2017/12/21 10:00

    (第15回)開頭手術の剃毛やめる=患者目線、常識を疑え

     札幌禎心会病院(札幌市)で2017年4月下旬の朝、脳動脈瘤(りゅう)の手術が行われた。手術台には髪の長い女性。執刀医がていねいにくしで髪をすいている。開頭手術ともなれば「丸刈り」と思いがちだが、最近ではこの病院のように、剃毛し…

    (第15回)開頭手術の剃毛やめる=患者目線、常識を疑え
  • 2017/12/28 10:00

    (第16回)両親と確執も、最期はみとる=家庭は円満、リタイア後の夢も

     父親は20年前、母親は10年前にそれぞれ他界した。両親との確執は消えることはなかったというが、2人を最後に引き取ったのは上山氏夫婦だった。 「おふくろが元気な時は、嫁姑戦争もすごかった。おふくろが言葉の『核弾頭』を浴びせれば、…

    (第16回)両親と確執も、最期はみとる=家庭は円満、リタイア後の夢も
  • 2018/01/04 10:00

    (第17回)「患者集めに有利」と出演=病気との闘い、手段選ばず

     テレビ東京の情報番組「主治医が見つかる診療所」(毎週月曜夜8時)に、上山氏はコメンテーターとしてレギュラー出演している。医師として寝る間もないほど多忙な毎日。その合間を縫って月2回は収録のために上京するという。タレントと一緒…

    (第17回)「患者集めに有利」と出演=病気との闘い、手段選ばず
  • 2018/01/11 10:00

    (第18回)敵は病気、犠牲は覚悟=新たな手術への信念

     「完璧な手術は今まで一度もしたことがありません」。脳外科医として多くの命を救ってきた上山氏はそう話す。命が助かり後遺症もなく、患者が元気に退院したケースは成功だが、完璧とはいえない。出血を少なく、できれば1滴の血も出さない手術…

    (第18回)敵は病気、犠牲は覚悟=新たな手術への信念
  • 2018/01/18 10:00

    (最終回)仕事から趣味へ、シフトも全力=人生のリベンジ、幕下りるまで

     2018年には70歳を迎える。引退の言葉が上山氏の頭をよぎるのは事実だ。しかし、視力は2.0で老眼もない。多くの外科医が視力の低下を理由に引退する中、上山氏にはそのきっかけもない。「老兵は死なず、ただ消え去るのみってマッカーサ…

    (最終回)仕事から趣味へ、シフトも全力=人生のリベンジ、幕下りるまで