一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏

(第4回)脳外科の道一直線=睡眠4時間、努力重ねる

 医学部に入る前から専門を脳外科にすることは決めていた。父親がトイレに忘れていった雑誌の記事を読んだのがきっかけだった。遺児支援の民間非営利団体「あしなが育英会」(東京都千代田区)会長の記事に「脳外科医が足りず、助かる命も助からない」と書いてあった。「それなら自分が脳外科医になって人の命を助けたいと思った」と上山氏は言う。

 入学後は脳外科の医局に遊びに行き、学生の立場で医局の行事にも積極的に参加した。卒業後の進路を迷う学生が多い中で、自分の決めた道を迷わず突き進む上山氏は、医学生の中でも目立つ存在だった。

 「僕はこれだと思ったら、まっすぐ行きます。一切変えません。だから医学部に入っても脳の勉強はしますけど、それ以外は興味がないから勉強しません。そういう態度の学生でした」。研修医になると、同期生に負けないためにできることは何でもやった。

 「チャンスをつかむために、他の連中よりうんと当直回数を増やし、その間に来た手術を全部独占することで差を付けられる。だから僕、飲み会の時にお酒飲めませんってウソ言って、先輩たちに飲ませて、急患が来たら全部手術していました」

 大学の医局に泊まり込み、夜通しネズミのバイパス手術をしていたときもあった。まだ顕微鏡を使った手術が普及していないときに、顕微鏡の扱い方に精通し、機械が動かなくなると「上山呼べ」と教授から声がかかった。

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