一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏
(第4回)脳外科の道一直線=睡眠4時間、努力重ねる
「寝ている時間は人生の無駄。一睡もしなかったら全部自分の人生です。人生70年生きるとして、最初10年は子どもだから正味は60年。そのうち1日8時間寝たら20年間も意識がないんですよ。働いたり風呂入ったりメシ食ったりする時間もあるから、70年の人生で自分が本当に使える時間は10年しかない。だから俺は4時間しか寝ないと決めたんです。そうすると10年戻ってくる」
今でも朝3時に寝て7時に起きる生活が基本だが、3日間ぐらい寝ないこともしばしばだ。
健康のことを考えて睡眠を取るという発想もない。「疲れて体を壊すようなら、そこまでの人生。つらいと思ったらダメなんです。そのうち倒れますから、倒れたら寝ればいい」
人の何倍も努力する上山氏を、上司の都留美都雄教授(当時)は高く評価した。日本人で初めて米国の脳外科専門医になった大人物だが、教授には子どもがいないこともあって、上山氏をわが子のようにかわいがってくれた。「僕は無鉄砲だったから、育て方を間違えるととんでもない方向に行くけれど、上手に育てれば伸びると考えてくれたんだと思います」
都留教授が文部省(同)の仕事で渡米して長期不在になると、上山氏は医局を飛び出し旭川赤十字病院に就職してしまった。ところが教授が1年半後に米国から戻ると、異例の措置で上山氏は北大に呼び戻される。
「北大に戻ることができた背景には、僕を陰で支えてくれた先生方の働き掛けがあったことを後になって知りました。すでに他界されてしまい感謝の気持ちも伝えられなかった先輩もいて、自分はなんて恩知らずで不義理なことをしてきたのかと、今さらながら後悔しています」
「勝手に医局をドロップアウトしたのに、何のペナルティーもないのはおかしい!」という批判も多かったのだが、その後もチーフレジデントを終えて、スタッフへの登竜門もくぐることができた。「特別扱い」に異論を唱える医師もいたが、都留教授が医局のトップである限り、上山氏の地位は安泰だった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2017/10/05 08:53)