一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第12回)眼科診療で被災地支援=米国から「診療バス」運ぶ

 東日本大震災のニュースが世界中を駆け巡ると、海外の友人たちから「日本にいては危ない。早く家族で避難して来なさい」という誘いが続々ときた。「被災した現地の人たちを気の毒に思う一方で、一瞬、放射線の被害を心配した自分が嫌になりました」と、この時の思いを率直に語る。

 「自分は安全な場所に移動してまで長生きしたいのだろうか。東北地方の人々がこれだけ困っているのに、医師である自分が役に立たなくていいのか」。そんな気持ちが前面に出てくると、いつものような元気が戻ってきた。

 自分に何ができるかを探るため、3月24日、岩手県陸前高田市、宮古市、山田町、大槌町、釜石市へ現地調査に向かった。「町全体が流されてなくなっている。病院も眼科クリニックも何もない。本当にショックで涙が止まりませんでした」。

 ◇首相官邸に直談判

 ふと、古くからの米国の親友のことが頭に浮かんだ。マイアミ大バスコンパーマ研究所のアルフォンゾ教授である。2005年に米国ルイジアナ州をハリケーン「カトリーナ」が襲った時、教授は眼科診療バス「ビジョンバン」で被災地を回り、多くの被災者の眼科診療に当たった。

 すぐに電話をかけると、坪田氏が「カトリーナ」のことを口にした瞬間に「あのビジョンバンを貸すよ」と申し出てくれた。「ただし、日本に運ぶのはお前だよ」とも言われた。バンの大きさは全長12メートル、重さ12トン。震災の混乱の中で、なかなか輸送手段が見つからなかった。

 坪田氏は持ち前の人脈を生かすと同時に、行動力を発揮した。自ら首相官邸に出向き、内閣官房副長官に直談判した。

 ちょうど日本政府に被災地への支援を申し出ていたロシアの大型貨物輸送専門の航空会社が、無償でビジョンバンを米国から仙台に運んでくれることになった。

 ビジョンバンが被災地に入ったのは震災から1カ月後。被害の大きかった宮城県女川町の高台の避難所にビジョンバンが到着すると、たちまち眼科の診察を希望する被災者たちの行列ができた。

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