一流の流儀 「追い込みの女王」AYA クロスフィットトレーナー

(第6回)私らしい場所を見つけた!(1)
=モデルの経験から学んだこと=

 

 しかし、モデルの道はそう簡単ではなく、しばらく仕事のない日が続いた。同じ事務所に小顔で手足の長いライバルの女の子がいた。顔もかわいくて、身長はAYAさんと同じくらいだった。彼女はいつも仕事があった。AYAさんは彼女と同じオーディションに行っても受からないことがあった。そこで思い出したのは母の言葉だ。「私は彼女ほどの天賦の才は持っていない。だから、もっと努力しなければならないんだ」

 人の2倍以上頑張る―。そんな気持ちで続けていると、彼女が受かるオーディションにAYAさんも合格するようになり、仕事が取れるようになってきた。

 しかし、AYAさんが合格したら、彼女も受かる。AYAさんが落ちても、彼女は受かる。その逆はなかった。「私が受かって、彼女が落ちることは一度もありませんでした。才能には勝てない。努力だけでは克服できないこともあるのだな」としみじみ感じた。

 当時の日本のモデルといえば、求められていたスタイルは、とにかくか細く棒のような体形だった。スポーツで鍛えていたAYAさんは、モデルとしては筋肉質。「だから、『運動はやめなさい』と言われました。私は父から運動を教えられて育ってきたのに、それを否定されているように思えて、一時期、生きているのに死んでいるような気持ちになっていました」

 そんなAYAさんがある動画を見て目からうろこが落ち、すっかり息を吹き返す出来事が起きた。(ジャーナリスト・横井弘海)

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