「医」の最前線 緩和ケアが延ばす命

乳がん患者がうつ発症
薬剤処方、自死を防ぐ―緩和ケア〔2〕 病や老いとうまく付き合う

 一緒に来られたご主人にも話を聴きました。すると彼女は元気だったころとは別人のように、能面のような顔になり、いつも暗鬱(あんうつ)な様子でネガティブなことを口にしているとのことでした。こう話すご主人も、彼女の変化に戸惑いを感じているようでした。刺さるような言葉を投げかけてくることもある鈴木さんとご主人は、言い争うこともあったようです。

 ◇うつ病と診断

 診察とこれらの情報をもとに、私は鈴木さんがうつ病になっていると診断しました。確かにがんになった人はしばしばうつ病になります。そしてその治療で改善します。

 「もう一切薬は飲みたくない」という鈴木さんの要請とすり合わせ、うつ病の薬1錠と、吐き気の薬2種類を1錠ずつ、合計3錠の服用を何とか約束してもらい、処方しました。

 この診察から2週間がたって、鈴木さんは前回より少し明るい表情で外来に来られ、「吐き気が治った」とのことでした。継続する吐き気には適切な薬剤があるので、吐き気の制御もうまくいきました。1カ月がたつと、さらに元気なご様子でやって来られました。うつうつとした気持ちが少し改善してきたとのことでした。抗がん剤治療も継続ができました。

在宅患者の安楽死を行う一般開業医向けにベルギーの薬局250店舗で販売されている「安楽死キット」(2005年4月18日、ブリュッセル)【EPA=時事】

在宅患者の安楽死を行う一般開業医向けにベルギーの薬局250店舗で販売されている「安楽死キット」(2005年4月18日、ブリュッセル)【EPA=時事】

 それから数年、鈴木さんとは緩和ケア医として伴走させていただきましたが、再びうつに陥ることはありませんでした。もし鈴木さんに適切な専門家による緩和ケアがなされなかったらどうなったでしょうか。まず、抗がん剤治療は間違いなく終了になっていたでしょう。そして、それは死を早めることになったでしょう。

 ◇QOLが向上

 うつの彼女は死を希求する、つまり自死を考える時間が増えていました。うつが消えたあとで彼女は「後から考えるとばかげたことだった」と笑いましたが、最初の外来では自死しかねない様子さえ感じられました。もちろん自死をしないように約束してもらい診療しました。

 日本では認められていない安楽死という手段があったら、彼女は迷わずそれを選ぶだけの身体と心の状態だったでしょう。それがガラッと変わったのです。これは特別な例を挙げているのではありません。このような事例は、末期ではない段階からの緩和ケア診療でもしばしばあることなのです。

 さて、鈴木さんはどのような苦痛があったでしょうか。まずは吐き気、不眠、食欲不振、体重減少といった「身体のつらさ」、うつ病からくる「精神のつらさ」、夫との関係が揺らいだことによる「社会的なつらさ」、生きている意味がないとまで考えてしまった「スピリチュアルなつらさ」です。


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